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| ■ 友引と葬儀 |
(問)友引に葬儀を行うのは良くないと聞きますが、本当なのでしょうか。(答)友引とは六曜という暦のなかの一つで、相引(共に引きあって)で勝負なしという日です。ところがこの共引がいつのまにか友引となり、寂しく亡くなっていった人が、葬儀に参列した友人をあの世に引っ張っていくという俗信を生んだようです。この俗信は現在でも根強く残り、多くの火葬場や斎場がお休みとなっております。 このような習俗が、いつ頃から一般化されたのかはっきりとはわかりませんが、六曜が盛んに信仰されだした江戸時代末からではないかという説もあります。六曜には仏滅などの言葉が含まれていますが、仏教とは何の関係もありません。 本義からすれば、友引に葬儀をすることは悪いこととはいえないようです。しかし自分は良いと思っていても、引かれると考えるのは相手の方なのですから、何ら問題ないとするのも難しい点があるのです。 |
| ■ 涅槃会(ねはんえ) |
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日本で一番先にこの法要を営んだのは奈良の興福寺といわれていますが、天台宗では比叡山横川において平安時代、恵心僧都源信が行ったのが最初とされております。この法要では、昔からお釈迦さまの「涅槃図」をかけ、「遺教経」というお経を読誦します。涅槃図には、お釈迦さまが沙羅双樹(さらそうじゅ)の下で、頭を北にお顔を西に向けて横たわり、そのまわりには多くのお弟子さんを始め、すべての生き物が嘆き悲しんでいる様が描かれております。 そもそもこの「涅槃」という意味は、寂滅とか寂静とか難しい意味がありますが、わかりやすくいいますと「吹き消す」という状態を示されたのであります。丁度焚き火が燃えつきたように、全ての煩悩の炎が消え、心の波立ちがおさまり安らいだ状態です。 私たちには、数多くの煩悩があり、それは物事への執着から生ずるといわれております。愛情や好悪、浄・不浄などへの固執もそれにあたります。この機会に物事に執らわれている自分の心を見つめ直してはいかがでしょうか。 |
| ■ お雑煮と雑煮箸 |
お正月にはお雑煮・御節料理など、独特のものを食べる習慣がありますが、それらを食べる際、雑煮箸といって、柳材の塗りのない丸いものを使います。私たちが普段使う箸は、食べ物を挟む先の方が細く、握る方は太くなっていますが、雑煮箸は天地が同じように細く、どちらからでも食べられるように作られています。それはどうしてなのでしょうか。お正月は、歳神様あるいは御祖霊をお迎えして今年のご加護を祈る行事とされております。一家揃ってお祈りした後、御祖霊へのお供えのお下がりでお雑煮を作り、御祖霊に召し上がって頂き、そして家族もいっしょに頂戴します。御祖霊が食することによって私たちも共に頂くことができ、そうすることで神仏のご加護が私たちに授かります。雑煮箸が天地両用食べられるようにできているのは、その用に供するためで、まさに御祖霊と人との「はしわたし」と言えるでしょう。 お正月は一家の安全を祈る行事ですから、家族全員揃って迎えたいものです。 |
| ■ 成道会 |
十二月八日と言いますと、大正から昭和の初めの頃に生まれた方々は、すぐに太平洋戦争〈第二次世界大戦〉の始まった日と答することが多いと思います。確かに、昭和十六年十二月八日は、太平洋戦争が開戦された日であります。それは月曜日の朝三時、日本軍攻撃部隊飛行機二百機が、ハワイ真珠湾に対し攻撃を行った日で、アメリカ軍に不意討ちを仕掛け、甚大な被害を与えた日であります。これは、とても不幸な出来事でありました。しかし、我々仏教徒にとりましては、それとは別に、大変意義深く重要な日なのであります。それは、この日が「成道会」(じょうどうえ)という日であります。 これは、今から約二千五百年ほど前に、インドの一地方の王子としてお生まれになったシッダルタ〈後のお釈迦様〉が、その地位を捨て、妻子を捨て、二十九歳で城を出て、修行者の群れに身を投じ、難行苦行を重ねました。しかし、この世の中の生・老・病・死の苦しみから抜け出すことは出来なかった。六年間も続けた苦行を止め、尼蓮禅河(にれんぜんが)で身体を洗い清め、村の娘スジャータの乳粥の供養を受け、菩提樹の下に座って瞑想にふけりました。その間、いろいろな悪魔に悩まされ続けましたが、その悪魔を追い払い、十二月八日の日の出前、明けの明星を眺められ、悟りを得られたのであります。 お釈迦様が、この世の中の苦しみを如何に滅するかという最大の課題を、遂に解決することが出来たのがこの日なのです。 いわゆる、悟りを開かれたのでありますが、お釈迦様が三十五歳のとき、明けの明星の美しく輝く時であったといわれており、これ以後、シッダルタ太子を「仏陀〈ほとけさま〉」といいます。 仏陀は、この日の悟りの喜びを、自分だけのものとしないで、人々に弘めようと決意され、かつて同じ修行をし、仕えてくれていた五人の修行者に伝えようと、彼等のいるベナレスに向かって出発しました。 仏陀によりますと、人間は二つの極端に陥っていると考えました。ある人は快楽を追い求め、またある人は苦行に身体を苛(さいな)んでいる。その両方とも悟りに至ることは出来ない。苦と楽の両極端を捨てて中道を選ぶ、即ち「調和のとれた努力」を続ければ悟りが開けるということを弘めていったのであります。この悟りの境地に入られたことを記念する法要が「成道会」であります。 |
| ■ 霜月会 |
十一月二十四日は「霜月会(しもつきえ)」と呼ばれており、天台宗の大きな行事の一つであります。「霜月会」の霜月というのは、昔の月の呼び方で、一月を睦月(むつき)、二月を如月(きさらぎ)、三月を弥生(やよい)というように、十一月を霜月と言います。この月の二十四日は、中国で天台宗をお開きになった天台大師智顗(ちぎ)様のご命日に当たり、日本においては、比叡山延暦寺を中心に、天台宗の殆どの寺院で天台大師智顗様に対しまして、報恩感謝の意味を表す法要が営まれる日であります。 これは、「天台会」とか「大師講」ともいわれ、我が宗にとって大変重要な行事、法要なのであります。 この法要は、伝教大師最澄様が、今の根本中堂の元となる一乗止観院で、奈良の七大寺から高僧を招いて「妙法蓮華経」の内容について講義をしたことからはじまっているのであります。 ところで、この天台大師智顗様とはどんなお方かと申しますと、中国の大同四年、西暦五三八年にお生まれになり、七歳の時からお寺参りをし、妙法蓮華経の中の観音経〈観世音菩薩普門品第二十五〉を一遍で 暗唱できるようになったといわれるほどの秀才でした。十八歳で出家、所謂僧侶となられ、特に「妙法蓮華経」というお経の研究と実践に専念され、ついにこの「妙法蓮華経」によって悟りを開かれたのであります。 そして、一般の人々は勿論のこと、天子を始め、高位、高官の人々まで、皆、大師の教えを聞くことを楽しみにしていたといいます。 しかし、天台大師は、多くの人々に法を説くことも大切ではあるが、まだまだ自分の修行も必要であったため、天台山という山に入り、僅かな木の実を拾って飢えを凌ぐことすらあったということです。これを聞かれた天子は、衣食、その他の生活費を与えられました。また、仏道を究めようとする者が、天台大師様を頼って集まり、お寺の様子もすっかりかわってしまうほどの信頼を得るようになりました。 天台大師様は、西暦五九七年、十一月二十四日、六十歳でお亡くなりになりました。 その時から約一千四百年経た今日、そのご命日の法要が毎年確実に営まれていることは、天台大師様が如何に偉大なお方であったかを物語っています。 |
| ■ お十夜 |
「お十夜」というのは、十月六日から十五日までの十日間に、阿弥陀様が衆生を救済して下さるご恩に対しての感謝の法要であります。それが丁度十日間行われていたので「お十夜」と言った訳ですが、最近では段々と十日を五日に減らしそれを三日に減らし、ついには一夜だけとなり、一心不乱に心を込めて念仏を行うようになってきた所が多いようです。この行事を行うようになったのは、お経の中に、「十日十夜、善行を積めば、他の仏を千年拝むより効果がある」と書かれてあり、また別のお経の中にも、「若し南無阿弥陀仏の名号を十日十夜にわたって念仏三昧に精進すれば、阿弥陀様を見ることが出来るであろう。また、必ず安楽国に往生出来るであろう」と書かれております。 したがいまして、この行事は、十日十夜の間、念仏の修行をすることによって極楽浄土に往生することを願うためのものであります。 この法要は、日本において始められたもので、白河天皇(一〇五三〜一一二九)の時、即ち、今から九百年ほど前に始まったもので、恒例の法要となったのは、室町時代からであります。京都の真如堂(真正極楽寺)において行われたのが最初であるといわれております。 京都の真如堂は、天台宗の寺院で、天台宗系に伝わったのは勿論のことでありますが、阿弥陀様におすがりするということから、むしろ浄土系の寺院で全国的に盛大に行われるようになりました。 そして、この法要は、都会では日中だけで終わる所が多いようですが、農村地域では、今でも「お篭もり」といって泊まり込んで行う所もあり、「十夜婆々」という言葉があるように、老婆や中年のご婦人の方々が多いようです。更に、この時期には、新米も収穫していますので、新米や、秋の実りの物を仏前に供え、大勢で持ち寄った食べ物を、皆で食べあう習慣もあります。また、供えられた穀物でお粥を作って食べ、楽しく過ごす地方もあるそうで、これを「十夜粥」と呼んでおられるそうです。 京都真如堂でのお十夜は、その法要期間中に、門前で蛸(たこ)を売り、これを食べると疫病から逃れられるという言い伝えから、「蛸十夜」と言われ有名であります。 何れにいたしましても、十月の十日十夜、阿弥陀様のお念仏を唱えたところから「お十夜」の行事が起こり、続けられているのです。 |
| ■ お供え |
(問)仏さまにはなぜお灯明やお花をお供えするのですか。(答)仏さまをお祀りする時、「香華灯塗(こうげとうず)」と言って、お香をたき、香を塗ってお花を供え、お灯明(とうみょう)をつけてお祀りするのが通例となっております。これは昔、インドでお客様をご接待する時の作法からきています。インドでは貴人をご接待する時に、お客さまが家に着かれると、まず、きれいな香水でその汗を流し、身体に香を塗ってさしあげます。インドはとても暑い国なのでそうするのです。香を塗ると気持ちが落ちつき、リラックスします。お客さまに爽快な気分になっていただくということと、消毒や害虫から身を守るという意味ももっています。次に季節のお花で髪かざりをつくり、お客さまの身体に飾ってさしあげます。そしてお客さまの身支度が整ったら、ご馳走をしてもてなすのが本式の接待の作法になります。 菩薩の修行法である六波羅蜜(ろくはらみつ)では、香は精進波羅蜜(しょうじんはらみつ)、華は忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)、灯明は智慧波羅蜜(ちえはらみつ)にたとえられています。精進とは、目標に向って最後まであきらめずに、一生懸命努力することをいいます。火をつけたお線香は最後の最後まで燃焼し、そのさまは精進波羅蜜に通じます。人は花を見ると「きれい」「美しい」と心がなごみ自然と落ちつきます。これは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の姿ですから、忍辱波羅蜜に通じます。灯明は仏さまの光、智慧を意味します。悩みや欲といった煩悩の闇をこの智慧(ちえ)の光が照らし、あかるくしてくれるところから智慧波羅蜜に通じます。 お寺参りやお墓参り、自宅のお仏壇等、お参りをする際には、香華灯塗をおあげしてお参り下さい。 |
| ■ 身・口・意の三業を浄めよ |
道路を歩いていると、突然、犬が吠えて襲いかかってきた。とっさに道端に落ちていた石を拾って投げ付けました。さて、ここで問題です。 投げ付けた石と、拾う前に道端にあった石は同じか、同じでないか。 これは『生物から見た世界』という本に出ていた問題です。 道に落ちていた石を拾って投げたのですから、同じ石に決まっています。道にあろうが、手の中にあろうが、石に変わりはありません。成分も形も重さも何ら変わっていないはずです。ところが石は大いに変化しているというのです。 では、どこがそんなに変わったのでしょう。それは、石という存在の意味がすっかり変わってしまったのです。つまり、路傍(ろぼう)の石が犬を追い払うための武器になったのです。科学的には同一であるのに、存在の意味が変化したのです。その変化の主な原因は石そのものにあるのではなく、その石を取ろうとした人間の側にあります。人の心が、人の行いが、科学的には同一であった石に変化を与えたといったらよいでしょうか。 このような人間の行いを身・口・意の三業(ごう)といいます。身体的な行いと、ことばで表す行いと心に思う行いのことです。そして、この三つの行いを浄(きよ)めよと仏教は教えています。 浄めるとはどういうことでしょうか。その三業の行動が自己中心のわがままになっていないか、こだわりや執着がないか、欲望はコントロールができているか、他人を傷付けていないか、常に反省することではないでしょうか。 そしてこの三業はそれぞれの行いだけでなく、その行いによってもたらされる結果をも含んでいます。よきにつけ、あしきにつけ、私たちのこの三つの行いは、結果として自分を含めたさまざまな存在の意味づけをするのです。 |
| ■ 施餓鬼会(せがきえ) |
東京では七月、盂蘭盆を行い、その前後に「施餓鬼会」を行いますが、「施餓鬼会」というのは、餓鬼〈弔う者のない無縁の亡者〉のためにいろいろな種類の飲食を施す法会で、「施食会」ともいいます。本来「施餓鬼会」というのは、別に期日を定めずに随時行う法会でありますが、いつの頃からか盂蘭盆会と同じように考えるようになり、東京方面では七月のお盆の頃、他の多くの地域では八月のお盆の頃に行います。 施餓鬼会の起源については、インドでお釈迦様が説法している時、十大弟子の一人に「阿難(あなん)」というお方がおられました。この方が、ある晩、静かな所で修行をしていますと一人の餓鬼が現れました。その姿は醜く、痩せていて、口からは火を吐き、喉は針のように細く、腹は異常に脹れていて、髪の毛は乱れ、爪は鋭く、それはそれは恐ろしい形相をしていました。そして、食べ物を食べようとして口へ運びます。そうすると食物は火となって食べることが出来ず、絶えず苦しんでいます。その餓鬼が来て、 「お前は三日以内に死んで餓鬼道に墜ちるだろう。」 といったのです。それを聞いた阿難は大変に驚き、早速お釈迦様にそのことについて相談いたしました。 するとお釈迦様は、 「十万の僧を供養せよ。」 とのお教えでした。阿難は多くの僧侶を集め供養しました。三日以内に死ぬといわれた阿難は、その供養の功徳により長寿を得ることができたといいます。このように、阿難が供養したことから始まった法要と言われております。 その作法などは宗派によって、或は地域によって多生異なりますが、一般には道場の外側の方に供養壇、即ち施餓鬼壇を設け、五色の幡(はた)にそれぞれ如来の名前を書き、この壇の回りに懸け、壇上には「三界万霊」と書いた大きな位牌を安置し、食べ物やお水をお供えするのであります。 また、水死した人のために、川の中に船を浮かべ、或は水辺で施餓鬼法を修し、お供え物を流したり、紙で作った小舟を流したり、船形の灯篭を流したりして、水死した人ばかりでなく、その年に亡くなられた方々の霊、或は三界万霊に供養を営む寺院などもあります。 始め、延命・長寿の法要であったものが、何時しかお盆と一緒に行うようになりました。 |
| ■ 対機説法 |
聞き損いは、言い手の粗相。ということわざがあります。 私たちは、話し手の真意を正しく理解することができず、つい誤解してしまうことがあります。あるいはまた、いくら言ってもなかなか聞いてもらえずヤキモキすることがあります。 「あんなに口を酸っぱくして言ったのに、全然言うことをきかない。」 「こんなに心配していったのに、どうして私の言うことがわからないの。」 と、腹立たしく思うことがあります。 私たちは、自分の言ったことがその通り相手に伝わらない時、聞き手の聞き方がわるいといって責めたりしますが、果たしてそうなのでしょうか。話し手の方に問題はないのでしょうか。 聞き損いは、言い手の粗相。 聞き手が正しく理解しないのは、言い手の方に問題があると思った方がよさそうです。 仏教は、「対機説法」だといいます。お釈迦さまがそうでした。お釈迦さまが説法されるときは機をみて法を説いたといいます。機とは法を説く相手のことです。その人の人格、年齢、教養、性質、まわりの環境、それらをよく知った上で、その人が理解できるように法を説いたのです。だから、心の底に教えがおさまったのでしょう。 一方的な言い方ではなく、まず相手を理解する。その中にことばの交流はあるのでしょう。 |
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