近年、ほぼ全ての世代でインターネットが利用されるようになり、わからないことはネットで調べるのが普通になりました。私も庭木の剪定からちょっとした大工仕事などによくネットを活用しております。
ただ即座に答えがわかる反面、不測の事態や特殊な事例に対してほとんど対処できず、作業が停滞することも多々ありました。結局全てだと思っていた情報もほんの一部でしかないためです。
私は学生時代から習い事が好きで、色々な教室や専門的な知識を得るためにいろいろな師匠につきました。すると何をしても必ず壁にぶつかる時が来るのですが、師匠はネットと逆で、答えを聞いても絶対に教えてもらえませんでした。
最初はなぜ答えてもらえないのか、なかなか理解できませんでしたが、仕方なく書籍を調べたり、師匠の手元、話していることをヒントにしたりしてなんとか壁を乗り越えることができました。
今更ながら気づいた事ですが、師匠は答えより目的に至るまでの歩み方を学ばせたかったのだと思います。それに比べるとネットの情報は過程を省いた「点」の情報でしかありません。学ぶということは答えを知ることではなく、目的に到達する過程に本当の学びがあるということではないかと思います。
天台宗の教育理念として解行双修という言葉があります。繰り返し学んで行動することは人の成長に欠かせないものです。Aiに本来の人のするべきことまで任せてしまう時代に、人そのものの学びが失われぬことを願うばかりです。
(文・四国教区 神久寺 米谷 向史)