天台宗について

法話集

No.209ブッダの教え

 私は二千五百年前インドの地に生きた歴史上の人物であるブッダが好きだ。坊さんである私が、開祖に対して好きだとか嫌いだとか言うこと自体はばかられるのかも知れないが、何と言われようとこの感情が変わることはない。

 ブッダの死因は食中毒である。八十を過ぎて暑いインドの国で物もらいだけの食事をしていれば当然の事かも知れないが、我々と同じように病に侵され腹痛と下痢に苦しみながらの実に人間らしい最期であった。
 考えてみればブッダの生涯は、ほとんど劇的な事のない淡々とした一生だった。人間として生まれ、人間として出来る限りの努力によって覚りを開き、そして私たちと同じように人間らしい亡くなり方でこの世を去って行った。ブッダの死後二千五百年が過ぎ、その教えは時代とともに変化してきたが、そこにこそ仏教の本質が潜んでいる。
 一神教のような絶対者の救いに頼らなくても、縁起と自然の法則の中で最高の生き方を実現する事ができる。奇跡も啓示も、神秘的ないかなる経験もない普通の生活の中に、真の安らぎを見出す道がある。これがブッダの説いた仏教である。
 今の日本に伝わっているのは、大乗仏教といってブッダの死後五百年ほどして生まれた新しい仏教思想である。そこには多くの仏が登場し、いつの間にかブッダの説いた自身の覚りによる救いが、絶対者による救いの信仰に変わったように思われている。しかしこれはブッダの教えを探求した先人たちが到達した信仰の形で、教えの本質が変わる事はない。

 「自灯明、法灯明をたよりに生きよ」ブッダの残した言葉である。自らと仏の教えを信じて迷う事なく人生を歩むこと・・・これがブッダの説いた仏教の本質であり、真の安らぎを見出す道に他ならないのである。


(文・九州東教区 西叡山高山寺 船津 大乘)
掲載日:2021年09月01日

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