天台宗について

法話集

No.229有り難くいただく

 天台宗では、「加行(けぎょう)」という厳しく、長期にわたる修行を満行しないことには住職の資格が与えられません。私は今から23年前の夏、その「加行」に延暦寺行院で挑みました。ここでは、修行中の「食事」から得た思いを述べてみたいと思います。

 「日常行っている当たり前のことを徹底的に行え」というのが行院での先生の指導でした。音一つたてることなく静かに食事をいただくことが修行の原点です。「当たり前のことを徹底的に行う」ことで食事することのありがたさが見え、「見えないものが見えてくる」ようになるのです。

 朝食は食時作法に則りお経をあげ、先生方が箸をつけた後に我々行院生も食べ始めます。まず昆布の佃煮を丼のお粥の中に入れ、次いで梅干しを口の中に入れて種を皿の上に出します。梅の酸味とともに沢庵を挟んだ箸を使ってお粥を飲み込みます。お粥を食べ終えると、お茶を丼の中に入れ沢庵を巧みに使って洗鉢を行いすべてのお茶を飲み込んで朝食は終了します。

 昼食と夕食は、丼一杯のご飯と汁、おかず二皿という一汁二菜です。ご飯を盛りすぎて、食事が他の者よりも遅れることは許されません。皿をテーブルに置く際に音を立てることも厳禁です。そこで最少の動作で済ませるために、一つの皿のおかずならおかずだけを食べ、口中に残ったおかずの余韻でご飯を可能な限りかき込み汁を飲むという動作を数回繰り返します。当初は味も何も感じることなく、ひたすら飲み込む作業に終始していましたが、次第に慣れてくるにつれご飯やおかずのおいしさを味わいつつ、それでいて迅速に食べられるようになりました。

 修行中の食事は「精進」です。肉・魚は一切提供されず、みそ汁も昆布と椎茸のだしのみです。米や野菜類は無農薬・有機農法での栽培です。行院に入り数日後、自分の体臭がやけに青臭く感じられ、それとともに世俗の食事の毒が少しずつ取り除かれていくように感じました。それを裏付けるかのように、先が割れていた爪は割れることなく艶やかに光るようになりました。また、修行の後半は2~3時間睡眠の日々が続き目が赤く充血して当然と考えていましたが、白目は白くそして瞳は澄みわたり、不思議と元気が湧き出るのを実感しました。

 23年たった現在でも、「まっとうに毎回の食事をいただくことがいかに難しいことか」という思いは変わりません。真実への第一歩は「有り難い食事を有り難くいただく」であると今も心に刻みついています。


(文・群馬教区 珊瑚寺 内田 堯重)
掲載日:2023年07月01日

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