天台宗について

法話集

六道能化(ろくどうのうけ)の地蔵尊

 いろいろな如来様や菩薩様、そしてお不動様などの明王様がおいでになりますが、中でも身近な仏様のお一人がお地蔵様です。かさこ地蔵や、とげぬき地蔵、お地蔵様の身代わり話など、昔話に数多く語られてきたのも、その証(あかし)でしょうか。また、街の辻々にお祀りされ、子供たちの守り仏として親しまれるのもお地蔵様です。京都などでは、いまでも8月23日・24日あたりに「地蔵盆(じぞうぼん)」と称してこれをお祀りし、地域の古老が子供たちとともに地蔵堂に集まり、華や香を飾って供養した後、お下がりの菓子を食べたりして楽しむ風習が残っています。心温まる伝統ですよね。
 お地蔵様はそのお徳を顕して尊称するとき「六道能化(ろくどうのうけ)の地蔵尊(じぞうそん)」とお唱えします。六道とはいったい何でしょうか?能化とはどんな意味でしょうか。

 私たちの心の中に、実はさまざまに妖しい場所があります。時々ちらっとそれが見え隠れするのです。例えば隣のお家が今度家を建て直し、また立派な車も購入しました。これを「良かったね。おめでとう」と素直に喜べば良いのですが、「きっとろくでもない商売でもうけた悪銭だ」とか、「このまま上手くはいかない、今に不幸がやってくる」とか思ったりすることはありませんか。思うぐらいでは犯罪ではありませんが、それが高じて世間を恨んだり、自分が上手く行かないのは人のせいなどと逆恨みの事件が多いですよね。
 そんな心の暗い淵を仏様は六つに分類して「六道(ろくどう)」とおっしゃいました。まず一番深い暗い淵を「地獄界(じごくかい)」と言います。いろいろな事情で人は罪を犯します。でも、取り返しがつかない罪は他人の命を奪う罪でしょう。こんな心持ちを表すのが地獄の絵図です。火炎地獄、血の池地獄、刀針地獄などの絵図が残されていますが、いずれも致死状態を現す絵です。なんとも恐ろしい場景です。でも、こんな心持ちも私たちは持ち合わせているのです。

 次は欲の世界です。「餓鬼界(がきかい)」と申します。「餓鬼(がき)」の姿を見ると手足や首が細く、腹部が異常に膨らんでいます。飢餓(きが)状態の人の姿を現しているのでしょう。飢えの極限なのでしょうか。でも、この人々の苦しみは更に深く厳しいのです。飢えているのに目の前には多くのご馳走やら、渇(かっ)しているのに美味しそうな飲み物が有るのです。手を伸ばせば届くのですが手に取った瞬間それは炎と化け、また、飲み込んでも針のように細くなった喉を通ることができず、結局得ることができない世界です。欲しい欲しいと思っても手に入らない苦しみ、それが高じれば力で手に入れる、違法な手段でも手に入れることになりますが、そんなことで人生を狂わせてしまう人が多いでしょう。物ならば値が有り、頑張ればなんとか手に入れることもできますが、人の心はお金で手に入れることはできません。例えば心に想う異性がいたとして、どうしても手に入れたい、だけれどもそうは簡単にいかないので、ある時、無理矢理ということで事に及べば、これは犯罪です。

 次は「畜生界(ちくしょうかい)」と言います。畜生とは人間以外の動物を言うのでしょう。いわゆる畜生とは本能のままということです。寝たいときに寝、食べたいときに食べ、交尾したいときに交尾する。周りは関係なく、人の迷惑関係無しに好きなようにするというのが特徴でしょうか。最近のお利口なペットは「待て」と言ったら、よだれを垂らしても「よし」の声まで我慢します。万物の霊長と自負する人間ですから人と区別して畜生と言うのでしょうが、実は同様な考えの人もいるのではないでしょうか。人の事はどうでも良い。自分さえ良ければいい。こんな場面を世界の政治の世界でも見聞きします。
 ここまでの三つの世界を「三悪道(さんなくどう)」と言います。一番暗い心の淵でしょう。

 その次が「修羅界(しゅらかい)」です。ルールある競争はそれぞれに有益ですが、ここは無法な戦いと争いの世界です。文明は戦争ごとに発展してきたと言いますが、「どうしても人の前に行かなければ」とか「蹴落としてでも一番に」などと考える世界でしょうか。企業競争は激烈でしょう。でも、データ改ざんなどは修羅の心持ちに近いのでしょう。

 次が「人間界(にんげんかい)」です。やっと人間です。ここまでの四つの世界を克服して人間です。ですから人間社会で生きるにはこれまでの四つの心をコントロールできないとだめなのです。でも、ちょっと油断すると落ち込みかねないです。気をつけましょう。

 次が「天界(てんかい)」です。人間として生きていくとき、それ以前の四つの世界をコントロールしさえすれば良いということではありません。悪いことさえしなければ良いということではないでしょう。進んで良いこともしなければなりません。例えば親切とか孝行とか正義とか思いやりとか、良いと言われることはたくさんあります。なかなかどれが良いことなのか難しいですが、これだけは確かでしょう。「悪事は己(おのれ)に 良きことは他人へ」、「己(おのれ)を忘れて他を利(り)す」、伝教大師のお言葉です。要は自分一人でとか、自分さえ良ければという心ではだめですよということです。

 こんな六つの心の在り方「六道(ろくどう)」を諭し教えて下さることを「能化(のうけ)」といいます。お地蔵様は千路に迷いながら毎日を暮らす私たちのために、辻々に立ち、お導きくださる菩薩様です。


(文・群馬教区 西光寺 谷 晃昭)
掲載日:2018年11月01日

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