天台宗について

法話集

No.60“間抜け”

 辞典で調べてみますと、「間抜け」とは「間の抜けたこと。物事の大事な点が欠けていること。またその人」で、「間」は「何かの間にはさまれた空間や時間。事をうまく運ぶ上での大切なころあい」とありました。
 人のことを人間ともいいますが、「人間」を調べますと「もともと人と人の間柄の意で、他の人と共になんらかの拘わりを持ちながら社会を構成し、何ほどかの寄与をすることが期待されるものとしての人」などとありました。
 私たちの命は、実に多くのご先祖様や生きとし生けるものたちとの拘わりあいの中で維持され、未来へと引き継がれていきます。
 皆さんもそれぞれの人生の中で幸福を求め、安心できる環境を望み、精進を重ねていらっしゃることでしょう。
 その過程において重要な事は、個人個人が他の人やあらゆる命との拘わりあいを広く、深く、慈しみも持ちながら、その関係を正しく理解し、意志や感情の疎通をはかることであり、それは必要不可欠な事なのです。
 それが間であり、コミュニケーションなのです。
 人は死出の旅に出るときはひとりですが、この世に生があるうちはひとりでは生きられません。この至極あたりまえのことすら、私たちは忘れてしまいがちなのです。
 そうなることを防ぐためには、周りとの関係を再認識しなければなりません。それが懺悔(さんげ)であり、安心(あんじん)を得るための精進への起点となるのです。そうでなければ、文字通り間が抜けてしまい、自分勝手な人となってしまうのです。
 最後に、私が読んだ本の中の一節で、イギリスの神学者ジョン・ウェズリーさんが記された「行動の基準」の中にある名文をご紹介させていただきます。
    君ができる限り
  「君ができるすべての善を行え、
   君ができるすべての手段で、
   君ができるすべての方法で、
   君ができるすべての場所で、
   君ができるすべての時に、
   君ができるすべての人に、
   君ができる限り」
 私たちは凡夫ではありますが、せっかく人間として生を受けたのですから、少しでも自分の人格を磨き、人のために尽くし続ける『人間』でありたいものです。
掲載日:2009年02月23日

その他のおすすめ法話

ページの先頭へ戻る