天台宗について

法話集

No.42地獄

 最近では、子どもをたしなめる時に「地獄に堕ちるよ」なんて言わなくなりました。そんなことを言えば、子どもから「あのね、地獄なんてないんだよ」と逆に切り返されてしまうからでしょうか。なるほど、子どもには、地獄は馴染みの薄いものでしょう。でも、人生経験を積んでこられた皆さんならいかがでしょう。
 私たちは、本物の地獄にはまだ堕ちたことがないけれども、日常的に辛く苦しいことを地獄だと表現します。
 「サラ金地獄」には縁がなくても、ラッシュに揉(も)まれる「通勤地獄」や「嫉妬地獄」程度なら経験済みの方も多いでしょう。そこに嵌(はま)りこんでしまえば「何とか楽にして欲しい。仏さま助けてください」と願うのではないでしょうか。
 仏教では、すべての存在の領域を十に分けて十界といいます。すなわち仏・菩薩・縁覚・声聞・天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄です。この中で最上界は仏の世界で、最下層が地獄です。
 かつては、十界は全く別々に存在すると捉えられていました。しかし、これだと「指定席」になってしまい、その世界から抜け出すのは容易ではありません。法華経は「一つの界は、その中に更に十界を具えている」と説きます。仏の世界にも地獄はあり、地獄にも仏の世界はあるということです。このことを「十界互具」といいます。
 これによって、十界は垣根が取り払われて、固定的な世界ではなくなり、いかなる衆生も成仏できるし、地獄に堕ちている人々でも、仏さまの慈悲によって、救済されることがあるのです。
 当然、私たちは「人間」ですから、自らの中に地獄を持っています。仏も持っています。今ある境遇を「地獄」とするか「仏」とするかは、自分自身にかかっているのです。現在が苦しみの連続である「地獄」であると感ずるなら、自分自身の中にある仏界を信じて、清浄な喜びの世界に転生するように心がけなくてはなりません。
 「あなたの中の仏に会いに」行きましょう。
掲載日:2007年08月29日

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