天台宗について

法話集

No.165縁について

怨みをもって怨みに報ゆれば、怨みは止まず。
徳をもって怨みに報ゆれば、怨みはすなわち尽く。


 これは宗祖伝教大師のお言葉で、「怨みに対して報復で応じれば終わりがなく意味がない、相手を怨むのではなく、優しい心で許してあげることができれば怨みはなくなる」ということです。憎い相手を許すことは簡単にできることではありませんが、伝教大師は怨みがあっても相手を思いやる慈悲の心をもつことが大事と説かれたのです。
 最近、あおり運転による交通事故の報道をよく見ます。人間である以上、頭にくることもあるでしょうし、他人を傷つけてしまうこともありますが、事故の原因や内容を知れば知るほど、自分勝手で他人への思いやりに欠けた行動に驚きを隠せませんでした。

 さて、こんな経験はないでしょうか。何気なく話した方が、実は親戚や友人の知り合いであったとか、自分が小学生の時の先生のご子息が、自分の子供の先生をしていたりなど。私にもそんな経験があります。その時は「世間は狭いですね」という話で終わりますが、また別の場所でお会いしたりすると「ご縁がありますね」なんてことになります。もちろん、会いたくない人や、苦手な人に会ってしまうことだってあります。
 縁は人間関係だけではありません。食事一つにしてみても、まず命があって、生産者がいて、流通を支える人がいて、調理する人がいて、初めて私たちの食卓に並ぶのです。人間は一人では何もできません。すべて繋がっているのです。この繋がりも縁なのです。縁に気づかなければただの食事ですが、気づくことで命の繋がりを知り、あらゆるものに感謝の念を抱くことでしょう。

 どんな人にも感情があり個性があり、それぞれが違うから自分という個がありますが、我々は目には見えない何かしらの縁で繋がっているのです。どこかで繋がっていると思うと、赤の他人に対しても優しく接したり、思いやりの心が持てると思いませんか?縁を通じて他者を思いやる気持ち、認める気持ちを持てれば、一つ一つの出会いに新しい一面が見えてくるのではないでしょうか。縁を大切にして「一隅を照らす」心を育みましょう。


(文・四国教区 円福寺 西原 太河)
掲載日:2017年12月01日

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