天台宗について

法話集

No.28娑婆世界の歩き方

   傘ひとつ 片方は濡れる 時雨(しぐれ)かな

 これは娑婆世界の歩き方を示唆した句です。天候は雨。なかなか止みそうにありません。旅の二人。別に二人と決まっているわけではなく、三人でも四人でもいいのですが、一応は二人としておきます。傘は一つしかありませんから、どうしても片方は濡れてしまいます。
 さてそこで、傘をどのように差すかが問題なのです。
一、自分一人傘を差してすたこらさっさと行ってしまう。置いて行かれた人はずぶ濡れになります。これも片方は濡れるわけです。(手前勝手型)
二、相手に傘を全面的に差しかけます。これだと相手は濡れませんが、自分はびしょ濡れになります。(自己犠牲型)
三、傘を真中にして、寄り添うように差します。俗にいう相合傘です。これも傘からお互いの外側の袖がはみ出して、片方の袖は濡れます。(相思相愛型)
 いろいろな差しようがありますが、どう差してみたとて、片方は濡れてしまいます。
「傘が一本だから濡れるんだ。もっと沢山探してこいよ」
 と、当然思われるでしょうが、そうはいきません。ここは娑婆なのです。傘は一本しかないことを肝に命じておいて下さい。傘を二本にしよう、三本にしよう、満足のいくようにしようという発想は、老いをなくせ、死をなくせ、季節は三月花の頃だけにしろというのと同じく理不尽なことなのです。「傘は一本だ」と諦めねばなりません。娑婆世界は堪え忍ばなければ生きられない世界というわけです。
 ところで、「アキラメル」とは、「諦めること」と「明らめる」とが一体化して成り立っている言葉です。自己所有欲の拡充といい状態の永続を諦めて、ありのままに明らかに見ることです。きれいさっぱり諦められれば、堪え忍ぶことが満足感に変わるのです。傘一本で充分満足ですし、一本だからこそいたわり合いながら歩んでいけるのです。
 「晴れてよし 雨もまたよし 路地の花」ということでしょうか。
掲載日:2006年05月24日

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