「馬鹿野郎!スコップが泣いているぜ。」自坊の護摩堂の造園工事で、三時のお茶を持って行った時、親方の罵声が飛んだ。弟子が今まで植木の穴を掘っていたスコップを投げ出して、お茶の処まできたのを見た親方の叱声です。
仏様の教えに「殺生戒」というのがあって、生き物の命をとるなかれと説かれています。漁猟をして生計をたてる漁師・猟師は別として一般人が生き物の命を奪ったり、粗末に扱うことをいましめています。動物の命だけでなく、物言わぬ植物に対しても粗末に扱うことは殺生戒に当るといいます。特に驚いたことには、スコップや鍬あるいは大工道具、パソコン等が故障したり、使い勝手が悪くなると不燃物として破棄してしまうことが多いが、これらの道具類にもそれぞれ命があって修理したり部品をとりかえたりして大切に扱い、命を全うする事が不殺生になるということを教えています。
造園工事に携わる親方には、休憩の時間がきてスコップを投げ出して来た弟子の態度にスコップに対するいたわりや感謝の気持ちがないのを怒っているのです。親方には、その場で投げられたスコップの気持ちが伝わったのでしょう。物言わぬ道具類には、それぞれ使命があって働いている。全ての道具類には命がある。大切に扱ってこそ命が輝くのです。また人と約束した時間に遅れる事は相手に対して貴重な時間を無為にすごさせることになり、悪戯に命の消耗につながる為に、待たせた相手に対して殺生戒を犯したことになる。仏様の教え「殺生戒を犯すことなかれ」は、広く解釈すると日常生活のなかで何気なく様々な処で、この戒を犯していることになります。この様な殺生戒の実践で世の中の人々との生活がやさしく思いやりのある暖かいものになると思います。
(文・九州東教区 臨濟寺 秦 順照)