天台宗について

法話集

No.97接足礼(せっそくらい)

 私は毎年一月にはスリランカを訪問します。スリランカの里親制度「コスモス奨学金」の奨学金授与式に出席するためです。自坊にご縁のある方が、里親制度「コスモス奨学金」を主宰していて、そのご縁で私も一翼を担うようになったわけです。
 スリランカのクラワラナの寺院で奨学金授与式が行われます。境内にしつらえられた特設ステージで八十名ほどの里子に、一年分の学用品の入ったリュックサックを一人ひとり手渡します。三時間ほどかけての授与式です。そして翌日からは、日本から参加できた里親全員がバスで里子の家と縁故小学校を一軒一軒訪問します。六日間かけての訪問です。
 スリランカに行って最初に驚かされることは、子供たちが(親も同様)近づいてきて、目の前にひざまずき、接足礼で挨拶されることです。思わずたじろぎ、一歩さがってしまうほどです。   
“接足礼”とは、両膝、両肘、額を地につけ尊者、仏像などを拝すること。最高の礼法。五体投地とも言います。今日の日本では、日常生活の中ではまったく見られなくなりました。私たちが本尊様に向かって礼盤に上がる前に行う三礼。それくらいしか見かけることはできません。
 私たちは本尊様に対しては日常行っておりますが、生身の人から接足礼で挨拶されたことはありません。おもわずたじろぎます。
 スリランカの子供たちは、家庭においても、朝夕二回は両親、長兄に対しては接足礼で挨拶するとのことでした。日常の挨拶に接足礼が根付いているのです。
 私は、ある種の納得をしました。スリランカの子たちは、どの子もどの子も、みんな目が輝いています。そして子たちからは貧困さが微塵も感じられません。それはスリランカにおいては、この子たちは日常生活の中で、人に接するに最高の礼をもってし、感謝の念を表しているからなのだ、と。
 家庭を訪問しても、子供の勉強机(とても一部屋与えられる状態ではない。ランプ生活の子もある)はキチッと整理されており、前にはどの子もみんなお釈迦さまが奉られています。お釈迦さまの“ご加護で”という気持ちがみなぎっているのです。
 スリランカは日本に比べて決して豊かではありません。むしろ貧困な国、と言いうるかも知れません。しかし現在の日本では失われてしまった数々の事柄がスリランカには現在もなお息吹いています。
スリランカを訪れて、とても心地よく感じられるのは、日本が失ってしまったものをスリランカは今も持っているからなのだろうか。
(文・今井長新)
掲載日:2012年03月26日

その他のおすすめ法話

ページの先頭へ戻る