天台宗について

法話集

地獄の薪(たきぎ)にならないために

 私が住職を勤める寺は、約八百段の石段を登った山上にあります。その参道には姥堂(うばどう)・仁王門があり、皆さんそのお堂をおまいりして登ってこられます。
 姥堂は奪衣婆(だつえば)をおまつりするお堂です。奪衣婆は亡くなった人の着物を剥ぎ取り、その着物の重さで生前の行いや罪の重さを量るとされています。また仁王門には、仁王像と閻魔(えんま)十王がおまつりされています。閻魔さまはその量られた重さから、その人の死後の行き先を六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人界・天界の6つの世界)に振り分けるとされています。ということは、この参道は亡くなった人が通る道を表しているのです。
 そこで昔の人は、寺まで汗を流しておまいりすることで、これまで犯した自身の罪や苦しみを落として身心を清めることができ、おまいりをして帰る(下る)ことで、生まれ変われる(リセットする)と考えたようです。

 さて、奪衣婆に剥ぎ取られる着物の重さとはなんでしょうか。
 私たちは、悪い行いはしていない。他の人に迷惑はかけていない。と思って生活していても、つい自分中心に物事を考えてしまい、他の人のものが欲しくなったり、怒りの気持ちを抑えられなくなったり、悪口やうそを言ったりして、知らず知らずのうちに苦しんだり罪を犯してしまっているのです。それが生前の行いとして着物の重さにたとえられるのです。

 では、その着物の重さを増やさないようにするにはどうすればよいのでしょうか。
 宗祖伝教大師は「生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪とならん」というお言葉を残されています。生きているときに善いことをしておかなければ、死んだあと体は地獄で焼かれる薪になってしまう。と戒められています。
 また大師は「悪事は己に迎え、好事は他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」というお言葉も残され、みんなが嫌がるようなことは自分が引き受け、みんなが好ましいと思うことは他の人に回していく。自分を優先するのではなく、他の人を優先するように心がけることは、最上の慈しみの心であると教えられています。その慈しみの心で行動することが、善い行いをすることにつながり、苦しみや罪の重さを増やさないことになるのです。

 私たちは、いつその時を迎えることになるかわかりません。ですから常に他の人を慈しむ気持ちを忘れず、善い行いをすることを心がけるようにしなければなりません。結局のところそれが、奪衣婆に剥ぎ取られる自分の着物の重さを軽くしておくことにつながるのですから。


(文・山形教区 金乘院 相田 英順)
掲載日:2020年07月01日

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