天台宗について

法話集

No.102諸法実相(しょほうじっそう)‐あるがままにみる‐

 法華経の教えに諸法実相があります。
 春がめぐりくれば、花が咲き、秋になれば、木の葉が紅葉する。その自然なありようが、法(のり)のみ相(すがた)、仏のすがた、つまり諸法実相というのです。諸法実相とは、ものの本当の相(すがた)、あるがままのすがたを見ることなのですが、私達には、なかなか見えないのです。これを本当に見ることができるのは、智慧をそなえたみ仏であるといわれます。私達は、本当の相(すがた)を見ないで、いつも『我欲』という色めがねをかけてものを見、目先の分別で区別したり、比較したりして、喜怒哀楽のとりこになり、ますます目を曇らせてものを見ています。
 『真昼の星』を見たことがありますか。私達は、おそらく昼間でも星はあるということを十分承知しながら、気づかないで暮らしています。
金子みすゞ(1903~30年)という、美しい童謡詩人がいました。26歳の若さでこの世を去りました。金子みすゞさんの詩の中に、法華経の諸法実相を感じさせる詩があります。

 「星とたんぽぽ」(金子みすゞ)
青いお空の底ふかく/海の小石のそのように/夜がくるまで沈んでる/昼のお星は眼にみえぬ。/見えぬけれども あるんだよ/見えぬものでも あるんだよ。
散ってすがれた たんぽぽの/瓦のすきに、だァまって/春の来るまで かくれてる/つよいその根は眼にみえぬ/見えぬけれども あるんだよ/見えぬものでも あるんだよ。

 この詩は、こころ、いのち、やさしさ、きずな、などのように、目に見えない大いなるはたらきによって、私達は守られ、生かされていることに気づかされます。
(文・柴田真成)
掲載日:2012年08月28日

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