天台宗について

法話集

No.148心のよりどころを

 一昔前までは、どこの家庭にもお仏壇がありました。ロウソクに火を灯し、仏飯やお茶、お香などをお供えし手を合わせます。朝には「今日、一日が始まります、心安らかに無事に過ごせますように」と祈り、晩には「一日を無事に過ごすことが出来ました。ありがとうございました」と感謝の念を捧げます。その親の姿を見て、子供達も自然と真似をし、その所作を身に付けながら、仏様や今は亡きご先祖に対する尊敬の気持ちが芽生えました。また姿や形がないものに対しても畏敬の念を抱き、謙虚な気持ちを持つことが出来たのでしょう。それは日本の良き伝統、素晴らしい習慣でした。

 今日では住宅事情や核家族化それに少子化などにより、自宅にお仏壇をお祀りしている家庭は激減してしまいました。そのことが、現在日本人の生きにくさや閉塞感と言ったものに関わっているのではないでしょうか。

 社会の中で生きてゆく上で、多くの事が我々に起こります。それは楽しいことばかりではありません。時には人間関係のトラブルや仕事の失敗などにより気持ちが落ち込み、心にわだかまりが出来てしまうこともあります。そのような時こそ、お仏壇の前に座り仏様やご先祖に対峙し、思いの丈を打ち明けてみましょう。無論すぐに答えてくれはしないでしょうが、お仏壇の前では正直な自分の心、素の自分が見えてきて、その中で気付くこともある筈です。すると、いつの間にか心は穏やかになり、気持ちも前向きになります。

 お仏壇の前で手を合わせ祈ることは、心を調え、心のよりどころを得ることでもあるのです。家にお仏壇がなくなった現在の日本人は、心のよりどころをひとつ失ってしまったことになるのでしょう。

 もちろん今日では、新たに仏壇をお祀りすることは容易なことではありません。必ずしも、お仏壇でなくても結構なのです。縁のある仏様やお寺のお札、お守りだけでも良いでしょう。それらを部屋のどこかに置き、手を合わせ祈る場所にする。生活空間の中に、ほんのわずかでも、そんな場所があれば、心のよりどころとなり、心穏やかに安心を得ることが出来るのではないでしょうか。あなたも心のよりどころをみつけてみましょう。


(文・群馬教区 眞光寺 都筑 玄澄)
掲載日:2016年07月01日

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