天台宗について

法話集

No.141安心(あんじん)を得る事

 今秋、千日回峰行の最大の難関と言われる「堂入り」を延暦寺一山善住院住職釜堀浩元師が満行されました。天台宗総本山比叡山延暦寺には古来より数多くの修行が伝えられ実践されていますが、もっとも有名な回峰行。第700日目が満じた日の午後から「堂入り」に臨みます。九日間の断食断水、加えて不眠不臥でお堂に籠り、お勤めを続ける行です。新聞、ニュースなど多くのメディアに取り上げられましたのでご存じの方も多いでしょう。またインターネットやSNSなどでも関心が寄せられ、日本中世界中に瞬く間に伝えられました。正に現代を反映している現象でしょう。多くの人々が「なぜ体力の限界を超えられるのか」「苦行に打ち勝つ精神力とはいかなるものか」「苦しい修行を成し終えて生き仏になられた」といった感想を持たれたようです。

 では実際にお勤めになった行者さんはどのような想いを持たれたのでしょう。「比叡山時報」のインタビュー記事を見ると、ただ淡々と感謝の言葉が述べられています。大偉業を成し遂げた自信がみなぎるような様子はまったく見られません。むしろ初めから苦しい行に臨むという気概さえ無かったかのように、穏やかな優しいお顔をなさっています。

 第253世天台座主山田恵諦猊下はその自伝の中で「比叡山での私の人生を振り返ってみると、取り立てて何もお話しすることがない。こんな修行をした、苦しみがあった、努力をした、そのようなことが何もない。それは、比叡のお山で、よき師僧に恵まれ、いつも有り難く思って過ごしてきて、ただの一度も他の世界に惹かれた事がないからだ。仏様のお蔭で到着点がわかっているから安心して進めたから苦労もなかった」を述べておられます。

 人はどうしても我欲に捉われてしまいます。全てが自利の為に生きるのが生物の本能なのですから仕方ありません。それ故に不安が常に付きまといます。頼るものが自分しかないのですから、行った事がない先は無明。安心が得られるはずがありません。それに対して山田猊下は「因縁を尊重し信仰を持つことで安心が得られる」と述べておられます。我を離れて他に意識を移していくと、それぞれの相対関係が理解でき、そのご縁の深さに感謝の心が沸き起こるということなのでしょう。

 何かと気忙しくなる師走に入りました。ざわざわと波立つ心の様をしばし離れて空から眺めてみる。そんな時間を作って、穏やかな気持ちで新年を迎えたいものです。


(文・延暦寺一山 恵光院 小鴨 覚俊)
掲載日:2015年12月01日

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