天台宗について

法話集

No.68霜月会

 十一月二十四日は「霜月会(しもつきえ)」と呼ばれており、天台宗の大きな行事の一つであります。「霜月会」の霜月というのは、昔の月の呼び方で、一月を睦月(むつき)、二月を如月(きさらぎ)、三月を弥生(やよい)というように、十一月を霜月と言います。
 この月の二十四日は、中国で天台宗をお開きになった天台大師智顗(ちぎ)様のご命日に当たり、日本においては、比叡山延暦寺を中心に、天台宗の殆どの寺院で天台大師智顗様に対しまして、報恩感謝の意味を表す法要が営まれる日であります。
 これは、「天台会」とか「大師講」ともいわれ、我が宗にとって大変重要な行事、法要なのであります。
 この法要は、伝教大師最澄様が、今の根本中堂の元となる一乗止観院で、奈良の七大寺から高僧を招いて「妙法蓮華経」の内容について講義をしたことからはじまっているのであります。
 ところで、この天台大師智顗様とはどんなお方かと申しますと、中国の大同四年、西暦五三八年にお生まれになり、七歳の時からお寺参りをし、妙法蓮華経の中の観音経〈観世音菩薩普門品第二十五〉を一遍で 暗唱できるようになったといわれるほどの秀才でした。十八歳で出家、所謂僧侶となられ、特に「妙法蓮華経」というお経の研究と実践に専念され、ついにこの「妙法蓮華経」によって悟りを開かれたのであります。
 そして、一般の人々は勿論のこと、天子を始め、高位、高官の人々まで、皆、大師の教えを聞くことを楽しみにしていたといいます。
 しかし、天台大師は、多くの人々に法を説くことも大切ではあるが、まだまだ自分の修行も必要であったため、天台山という山に入り、僅かな木の実を拾って飢えを凌ぐことすらあったということです。これを聞かれた天子は、衣食、その他の生活費を与えられました。また、仏道を究めようとする者が、天台大師様を頼って集まり、お寺の様子もすっかりかわってしまうほどの信頼を得るようになりました。
 天台大師様は、西暦五九七年、十一月二十四日、六十歳でお亡くなりになりました。
 その時から約一千四百年経た今日、そのご命日の法要が毎年確実に営まれていることは、天台大師様が如何に偉大なお方であったかを物語っています。
掲載日:2009年10月26日

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