比叡山延暦寺を総本山とする天台宗には、日本の仏様の教えのすべてがあります。
日本に名だたる有名な僧侶が修行され、各宗派を開かれました。
その基になる中国の天台の教えを学ばれ、比叡山を開かれた宗祖伝教大師最澄様にはどのような志があったのでしょうか。
伝教大師最澄様が当時の天皇にあてた、山家学生式(さんげがくしょうしき)という文章で、国の宝とはどういうことかについて述べられています。
国の宝とは光り輝く宝石のことではなく、道を求める心、精進する心のある人、すなわち、菩薩のこころを持った人のことであり、その人々が国の宝だとおしゃっておられます。
それを具体的には、人々が今与えられた立場に精一杯役割を果たすことで、世の中のすべてが照らされ、平和になることを、一隅を照らすという言葉で述べられています。
私達にはそれぞれ与えられた立場があります。僧侶であれば仏道に精進し、悟りを開き、お釈迦様の教えを伝えてゆくこと、会社では与えられた仕事を精一杯行い、家庭では、家族の為に料理を作り、洗濯、掃除をし、家族の幸せを作り、家に来られた方の為にお花を活けたり、お茶を点てて、おもてなしをすること。料理店では美味しい料理をお出しし、お腹と心を満たしてもらうこと。お年を召した方であれば、今まで培ってきた経験を子供や孫、後世に伝えてゆくこと。それぞれが与えられた立場にベストを尽くすことで、世の中が明るく輝いてゆくと述べられています。
また、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなりと言う言葉で、自分の利益のことよりも人の喜びを第一に思うことこそが仏様の心であるとおっしゃっています。
これは奉仕の心、見返りを求めない心で、純粋に人の為に行うことこそが、本当は自分を磨き仏心を育てる行いなのです。
このように、伝教大師最澄様は、精進する心を持った人を育てることを大切に考えておられました。それは菩薩の心を持った人であり、それがいつの日か必ずすべてのものが仏様の悟りの世界にいくことができると考えておられます。自らが修行し、精進することでいつかは必ず仏様になることができる、これが天台の心であります。
ひとり、ひとりが光り輝く人となり、まずは家庭、地域、日本、そして世界を平和にして行きませんか。
(文・三岐教区 慈明院 小池 祖堂)