天台宗について

法話集

No.27若くありたい

「お若く見えますねぇ」と言われて喜ぶのは女性だけではありません。若いという言葉は、今ではお世辞のひとつになっています。昔は若く見えるということは、恥ずかしいことでした。若造(わかぞう)、若輩(じゃくはい)者といえば、一人前の大人として認められていない言葉でした。ところが今は、化粧品もエステティックサロンも、女性の為だけのものではなくなりました。それというのも、私達の心の底に常に、若く見せたい、若く見られたいという願望があるからではないでしょうか。
 若い、ということは何も年齢に限ったことではありません。健康であり体力もあるということに加えて、考え方における柔軟さというのも若さの条件のひとつです。漢和辞典で"若"という字を引いてみると"桑の木のやわらかい新芽のさまをかたどった字。ひいてはやわらかい、わかいの意となった"とあります。身体の柔らかさ、発想の柔らかさというものは、若いうちに身につけておきたいものですが、人当たりの柔らかさ、ことば遣いや物腰の柔らかさといったものは、ある程度の歳を重ねてはじめて身につくものです。そう考えてゆくと若さと老いは共存しているのかもしれません。私達のもつ若さへの願望は、裏を返せば老いへの恐れでもあります。言う迄もなく老いは、生・病・死と合わせて四苦と呼ばれています。お釈迦様は、その何れも逃れられないものと、お示しになりました。上辺(うわべ)だけの若さの追求や、度を超した若さへの憧れは返って現実を観る目を曇らせてしまうことでしょう。私達は常に若くありたいと思っています。しかし、そのこだわりを捨てて歳相応に過ごすうちに、かえって美しさがにじむ事でしょう。
掲載日:2006年04月18日

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