天台宗について

法話集

No.237遥拝(ようはい)のすすめ

「遥拝」ということばをご存じですか?
遥拝とは遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むことです。

日本は新型コロナウイルスやインフルエンザなどをはじめ、古くから天然痘やコレラ・麻疹(はしか)といったウイルス性伝染病との戦いが幾度となく続いています。海外との交易が盛んになった江戸末期では、何度もコレラに見舞われ、1858年の流行では江戸の町だけで三万人以上の方が亡くなられたと記録されています。その当時の人々は信仰やまじないにすがりました。1862年に約24万人が亡くなったという麻疹の流行では、災厄を食べつくすという馬頭観音のご利益から、浅草寺境内の神馬(じんめ)所の白馬の葉桶を被る麻疹除けのまじないが流行りました。また、平安時代より疫病除けの祭りとして京都の祇園祭が始まったことは有名です。このような伝染病が蔓延した時は行動が制限され自由に出歩くことができない日々が続きます。また人生においては病気やけがで動けなくなることも有ります。

このような時に、遥拝は寺社に直接参拝できなくても寺社のある方向を向いて静かに祈りをささげるという方法です。これは家に限ったことではなく、各地にも遥拝所という場所があります。多くは神社を中心に伊勢神宮を遥拝する場所がありますが、比叡山延暦寺にも「万拝堂(まんぱいどう)」があります。世界中の神仏を迎えて奉安して、日夜平和と人類の平安を祈願している遥拝所です。根本中堂大坂を登ったところにあり、隣接する一隅会館は、参拝者のための無料休憩所になっていますので是非機会があればお参りください。

遥拝はどこでもできます。家の中の仏壇や神棚、御札に向かって拝むこともできます。寺社以外の場所で何らかの危機に直面したときや困ったときに神仏に祈った経験がある方も多いでしょう。たとえ家でなくても信仰する仏様のいらっしゃるお寺の方向に向かって静かに手を合わせるだけでもかまいません。日々通勤途中に電車やバスの中で人知れず黙とうして祈りを捧げている方もいます。このような習慣は、たとえ孤独感に襲われたり不安なことがあっても神仏を身近に感じることができ、心の平安をもたらせてくれます。日々謙虚な心をもって神仏に祈りを捧げましょう。信じる心が強いほどその思いは通じるものです。


(文・京都教区 雙林院 田中 良宜)
掲載日:2024年03月01日

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