天台宗について

法話集

No.211妙法蓮華経薬草諭品第五

 妙法蓮華経の五番目に薬草諭品がある。
 主な内容は、この世の至るところの山川、谿谷、土地には樹木、叢林及び多くの草木が生えており種類もさまざまである。そこに雨が降ると、それはすべての植物に等しく注ぐ。背の高い木、低い木、葉の大きいもの小さいもの、茎の太いもの細いもの、根を大きくはっているもの、少ししかはっていないもの、すべてのものに等しく降り注ぐ。そしてそれぞれの木々に応じて受ける量が異なる。つまり身の丈に応じて潤いを受ける。そして花を咲かせ実を結び、種々の性質の種子を持ち、それぞれの能力に応じて繁殖するのである。
 雨の降り方も大雨、小雨、雷雨とあるが、世に出てくれば普く四方に下り、大地、山川、谿谷、土地を潤す、というものである。
 この経典の中の「雨」とはお釈迦様の説法のことで、慈みの雨即ち「慈雨」という。

 お釈迦様のことばは我々衆生に普く等しく説かれる。そしていろいろ迷っている者には指針を与え、理解に苦しんでいる者には理解の方法を教え、不安をかかえている者には安心感をもたらしめる、ということである。
 このようにお釈迦様のことばは、我々衆生に普く平等に降り注ぐけれども、同時にそれぞれの衆生に合った指針となっている。別の言い方をすれば「智慧」の雨でもある。
 つまりお釈迦様は「雨」であり、我々衆生は「草木」であるという経典なのです。

 私は現在のお寺の住職を拝命して間もなく五十年になろうとしている。正月の年頭法話、縁日での本尊千手観音の功徳、施餓鬼会での目蓮尊者の話、葬儀、年回法要、一般参拝者には先祖供養の大切さ、一隅を照らす話を続けている。果して聞く人々の心に「慈雨」としてしみ通っているだろうか。
 朝の勤行で薬草諭品を読誦するたびに感じている昨今である。


(文・東海教区 東光寺 辻 亮駿)
掲載日:2021年12月01日

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