天台宗について

法話集

No.160幸せになる生き方

 私が小学生の頃は、学校から帰ったら近所の村の友達のところでよく遊んでいました。その村に、信仰深いおばあさんがおられました。よく天に向かって「有難うございます」つぶやきながら合掌される姿が子供心に強く印象に残っています。その当時の田舎はほとんど皆、質素な生活です。その中でも、おばあさんは最も質素な生活でしたが、いつもおだやかで感謝にあふれた姿は幸せそうでした。

 「幸せ」とはこころに、安らぎと「有難いなぁ」という感謝のよろこびを感じている状態です。詩人の相田みつをさんの詩に「しあわせは いつも自分のこころがきめる」とありますが、その通りです。自分のこころが幸せと思ったら幸せです。質素な生活でもこころに安らぎと感謝の豊かなよろこびがあれば幸せです。逆に、経済的にも社会的にもどれだけ恵まれていても、それを当たり前としてこころに感謝のよろこびがなければ幸せとは感じられないでしょう。外側にある条件が「幸せ」を決めるのではありません。外側にある条件は、危うく、移ろいやすいものです。「幸せ」を感じさせるものは、あくまでも自分のこころに安らぎと豊かなよろこびがあるかどうかだと思います。横浜市立大学名誉教授で教育心理学者の伊藤隆二先生が、「こころの健康な人」に多く見られた共通点を三つあげられています。
1.こころが安らいでいること。
2.打ち込むものがあること。
3.多くの人に喜びを分け与えていること。
逆にこれを欠いていると、こころは不健康だそうです。こころが安らいでいないことは、いつもイライラ、あせりがあるということ。いまある自分に満足できず、本当の自分はどこにあるのかと考えている状態です。打ち込むものがない、というのは、自分なりの才能を活かしていないので、満ち足りた気持ちになれない状態です。他の人に喜びを与えることは、自分自身に喜びを与えることでもあり、それで自分のこころは安らぎ、立ち直る人が多いと言われます。

 そして、伊藤先生がこれまで人生問題を考えてきて気になることは現代文明の問題、「もっともっと、という考え方。より大きく、より多くという、とめどもなく欲望が膨らむ相対的な価値観がこころに安らぎを与えない。そういった価値観から、比較しない絶対的な価値観の人生、自分なりの人生、自分なりのこころ豊かな生き方へと転換していくことが、三つの共通点に即した、こころの健康が得られるのでは」と言われます。大事なことは、こころを豊かにする生き方が「幸せ」な人生につながるということです。
 信仰のある生活は、仏さまに護られているこころの安らぎと、それに対する感謝の喜びを与えてくれます。


(文・九州西教区 布教師会会長 鍋島 隆啓)
掲載日:2017年07月01日

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