天台宗について

法話集

No.121とらわれの心

 般若心経の教えは、とらわれの心を無くすことだとよく言われます。
 日本人が共通してとらわれているのは数字の四です。「死」に結び付くと解釈するようです。
 こんな話を聞きました。某有名大学で哲学を学んだ青年が、県庁の職員に採用されました。お父さんがお祝いに、通勤用の乗用車を買ってくれたそうです。届いた新車のナンバーが、「69-94」でした。この青年はこの数字を「碌(ろく)でなしが、苦しんで死ぬ」と語路合わせで読みました。こんな車には乗れないと、お金を出してナンバーを変えてもらったということです。
 また先日比叡山団参の為、観光バス五台で出発しましたが、「四号車」は「寿車」となっておりました。
 四を死と関連づけて嫌うのは、日本人だけでしょう。四を「よん」と読んで、喜びの「よん」とすることは出来ないのでしょうか。
 人間はとても弱い存在で、来たる将来には誰でも不安があります。
 その不安を避けるために、そうあってほしくない事柄を、語路合わせしてでも避けるという心理的知恵が働くのでしょう。
 社会心理学で不安とは、「破局に対する漠然とした予感」と定義されています。よく恐怖と対比されます。恐怖には特定の対象が明確ですが、不安にはそれがありません。
 四を死と関連づけて避けようとするのは、人間の心理的な知恵かもしれませんが、仏様の智恵ではありません。
 般若心経の『諸法空想』の教えは、一切の執着や、とらわれることを否定して幸せになる方法です。情緒状態まで克服する修行(訓練)が必要なのではないでしょうか。

(文・堀越教之)
掲載日:2014年04月01日

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