天台宗について

法話集

釈尊の教えでないもの

 パリでエッフェル塔の展望台が一番のお気に入りの場所だという芸術家がおりました。理由を尋ねると、どうしても好きになれないエッフェル塔を見ずにすむからだそうです。そのものの中にいるとそのものの全体像は見えないもので、離れて見ると解るものです。今回は、六師外道(ろくしげどう)のお話です。外道とは、仏教以外の教えという意味です。仏教の開祖釈尊がお生まれになった時代は、インドで経済活動が盛んになり、物質的生活も豊かになりました。一方で、お金のある人が偉いと考えられたり、人々が物質的な享楽に耽り、社会には道徳感が失われて行き、伝統的なヴェーダ思想は希薄なものとなっていたといわれています。そういう時代に、多くの思想家や享楽の生活を離れて禅定に専念する行者が輩出したといわれています。彼らは、沙門(しゃもん)といわれました。沙門の原語は、「つとめる人」という意味です。お釈迦様もその中のお一人でした。その中で、有力な思想家6人が「沙門果経」等に説かれています。その内の一人、(1)プーラナ・カッサパは、「行為による善悪の果報は無い」と考えました。すなわち「人を苦しめたり、殺害しても悪を為したのではなく罰もない。また、祭司や施し、克己等によって善の生じることはない」と考えました。先日、小学生が「悪いことをしても、裁判で有罪の判決を受けなければ、悪いことをしたことにならない」と言っていました。どこか似ていませんか?(2)パクダ・カッチャーヤナは、「人間の個体は、地・水・火・風の四元素と苦・楽・生命の7つの独立した要素の集合体であると考えました。そして、たとえば、鋭利な刀で首を切断しても、殺害をしたことにはならない。ただ刀が体の7つの要素の間を通過したに過ぎない」と説きました。現在の電子顕微鏡で刃物が人を切る所を見たならば、鉄の分子がタンパク質等の分子の間を通りすぎ、引き離した場面だけが観えるのではないでしょうか。そこには、善とか悪とかいう物質は見えないでしょう。(3)マッカリ・ゴーサーラは、「霊魂・地・水・火・風・虚空等の12の要素で生物が構成されていると考え、全ての生物は、定められた運命と偶然と本性によって生死の輪廻を繰り返し、長い時間の後、終には消滅する。そこには、原因や条件、行為、意志等は関係しない」と考えました。一方、仏教は、全ての事象は、因と縁、そして意志や行為が深く関わって、常に変化していると考えます。仏教は、自然科学的なものを否定する訳ではありませんが、何よりも心を中心にして考えます。そして心により為される行為が幸せになるための重要な要素と考えます。後の3師は、別の機会に。

(文・鈴木晃信)
掲載日:2013年12月01日

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