天台宗について

法話集

除夜の鐘

 十二月に入り年の瀬を迎える頃になりますと、行く年を振り返って、名残惜しい気持ちになります。「これで、今年も過ぎて行くのか」と、感慨(かんがい)に耽(ふけ)ってしまう日でもあれば、「明くる年はいい年であるように・・・」と多幸を望む転換区切りの大晦日(おおみそか)の一日でもありましょうか。
 その大晦日・元旦の一日は、今日の一日と過ぎ行く時は同じなのですが、心の面では、大きなけじめの一日なのですね。今年と来年の狭間(はざま)で人生を思う心にあの「除夜(じょや)の鐘(かね)」は響いてきます。大晦日の深夜から元旦にかけて百八の鐘が撞(つ)かれますが、これは、百八の煩悩を除去して清らかな新年を迎えるためです。なぜ百八なのかという理由はいくつかあるようで、俗説では、四苦(四×九=三六)と八苦(八×九=七二)の和(合計)が百八だから、などといいます。人間が持っている煩悩(ぼんのう)ははかりがたく沢山あるということです。煩悩とは、私たちの心身を苦しめ、煩わす心の働きのことですが、その元(もと)になる作用は三毒(さんどく)といって、貪欲(とんよく、むさぼり)、瞋恚(しんに、いかり)、愚癡(ぐち、おろかさ)の三つに集約されます。この三種の毒は、心を病ませ、正しい判断を狂わせてしまいますから、除夜の鐘は、その病んだ心に反省を促しています。「反省のあるところには必ず進歩がある。」そう信じて撞かれる鐘の余韻に耳を傾けたいものです。鐘の音は、なにかを心に響かせてくれる筈。
  今年は殊(こと)のほか悲しい出来事が多い一年でした。
  明くる新しい年は良い一年でありますように・・・・・。   合掌
掲載日:2004年11月11日

その他のおすすめ法話

ページの先頭へ戻る