天台宗について

法話集

No.127時空を超えて

 少し以前、“仏像ガール”という言葉が流行ったことがあった。
 今を去る40数年前、東京の大学に在学していたころ、実は私も“仏像ガール”だった。もちろん当時は“仏像ガール”という言葉はなかった。アルバイトで稼いだお金を貯めては、奈良・京都へと出かけた。岩手の田舎の寺出身の私は、都のお寺のスケールの大きさにただただ圧倒された。
 大学を卒業して岩手に戻り、小さな寺の住職となってからは、奈良・京都は遙かかなたに遠のいた。小さな寺でも住職が何日も寺を留守にすることは難しく、子育てにも追われた。そうこうしているうちに“仏像ガール”は、“仏像ミドル”(いや、シニアか?)に変化(へんげ)した。
 平成24年、兵庫県加古川市の鶴林寺さんが新宝物館完成に伴って特別開帳を行うとの情報が入った。永年眠っていた仏像好きの心に火が付いた。要介護3の母親を施設に預け、鶴林寺に向かった。重厚な作りの本堂、900年もの間風雨に耐えた太子堂、そして秘仏の薬師三尊像も見事だったが、一番衝撃的だったのは、法隆寺の夢違観音とうりふたつの白鳳時代の金銅仏が宝物館にあったことだった。“あいたた観音さま”と呼ばれているというその観音様は、白鳳仏独特の穏やかな童顔だった。この観音様は1,300年以上にわたって、人間の生老病死を見てきたことになる。医学が進歩しても人間は当然のことながら病も死も免れることはできない。次々と新たな病が起こり、心を病む人は増え続け、寿命が延びた分、老いの苦しみは増したかもしれない。世界中に戦争が絶えることはなく、自然災害は拡大し続ける。数限りない修羅場を見続けてきたであろうこのあどけないお顔の観音様は今何を思っていらっしゃるのだろうか。
 若いころは、東大寺戒壇院の広目天が好きで、四畳半のアパートの壁に写真を飾っていたものだった。しかし馬齢を重ねた今、広目天の憂いを含んだすべてのものを見透かすような鋭い視線にはとても耐えられない。今、部屋には鶴林寺様から頂いたあの観音様の写真がある。
 1,300年という時空を超えて、柔らかな心で穏やかに微笑み続ける観音様は、童顔であるがゆえに非日常的な雰囲気をまとい、かたくなに凝り固まった心をほぐしてくれるような気がするのである。

(文・藤波洋香)
掲載日:2014年10月01日

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