お檀家さんのお葬式を厳修するのが僧侶の役目とはいえ、さまざまな死に直面すると思わずもらい泣きしそうになることもあります。ある御婦人は夫の死のショックにより火葬場で失神されました。あるお婆さんは気丈にお葬式を終えられましたが初七日の日に号泣されました。また「百か日法要は卒哭忌といい、声を上げて泣くことから卒業する日とされています」と話をすると今までの悲しみが噴き出してきたのか、ポロリと涙を流した娘さんもいました。
そんなある日、三回忌法要を終えた時、施主である奥様が「主人の写真が笑ったように思うんです」とおっしゃいました。光の加減や見る角度によって多少見え方が変わることはあるでしょうが、写真のご主人が笑うはずはありません。
彼女の夫は病気の進行が速く、発病後わずか数か月で亡くなりました。以来、枕経、お通夜、お葬式、初七日から満中陰まで、百か日、お盆、一周忌と法要を重ね、また日々のお供養も熱心にされました。次第にご家族も元気を取り戻し、自分にできる生き方を一生懸命なさってこられました。
そうして迎えた三回忌。奥様には何か吹っ切れたものがあったのでしょう。私は奥様の心の内が変わったのだと思いました。晴々した心で見た主人の写真は以前に増して、笑顔だったということでしょう。その後もたびたび、その奥様は「また主人の笑みが増えたように見えません?」と私に話しかけられます。
私たちの務めに故人に対する回向がありますが、そのことを通して、ご遺族が明るく生きることができるように励ましていくことは重要です。それを故人があの世から眺めて微笑んでくれているようにご遺族が信じて生きていく時、益々、ご遺影が笑うお宅が増えていくことでしょう。
(文・兵庫教区 真光院 吉田 実盛)