天台宗について

法話集

No.17ほとけさまの(心の)サイン ―お釈迦さま― 

 先月に続いて、「ほとけさまのサイン」のお話です。お釈迦(しゃか)さまは 釈迦如来(にょらい)とも呼ばれます。実はこの○○如来と名のつく仏さまは、 すでに完全なお悟(さと)りを開かれた方なのです。ですから、如来さまは一切の物事(ものごと)に対するとらわれの心がありませんので、そのお姿も装飾品(そうしょくひん)などは持たず、簡単な衣(ころも)を一枚身につけておられるだけで、あとはご自分のお心を伝えるために必要なもの以外は一切何もお持ちにならないのです。
 そこで、お釈迦さまですが、普通は絵のように、左右の手の指をひろげられ、右手を胸の辺(あた)りにあげ、左手を腰の辺りにたらしていらっしゃい   ます。
 この右手の形(印相〔いんそう〕といいます)を「施無畏(せむい)の印(いん)」といい、わかりやすく言えば、「何もこわがることはありませんよ、心配しないでね」とおっしゃっておられるのです。そして、たらした左手は「与願(よがん)の印(いん)」といって、「話してごらん、願いごとは聞いてあげますよ」ということをサインであらわしておられるのです。
 なお、お釈迦さまにはお生まれになった時の誕生仏(たんじょうぶつ)から、お亡くなりになられた時の涅槃像(ねはんぞう)まで、実にさまざまなお姿が あります。
 ところで、この施無畏と与願の印の大切なことは、これらの印が、自分だけが救われればそれでいいという狭(せま)い考え方ではなく、もっと幅(はば)広く、悩(なや)んでいる人々を救ってあげたいという願いをあらわしているのです。言いかえれば、自分の利益(自利〔じり〕)よりも他人のことを中心にする考え方(利他〔りた〕)で、そこには仏教の説く慈悲(じひ)の心があります。
 かつて、伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄上人(さいちょうしょうにん)が「己(おのれ)を忘れて他を利(り)するは、慈悲の極(きわ)みである」とおっしゃられたのは、正にこのことだったわけです。
掲載日:2005年04月20日

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