天台宗について

法話集

No.61“ご利益”

 お寺の門前のおじいさんは、まもなく八十歳になります。息子さん夫婦も五十歳、お孫さんが四人もおります。やさしい家族にも恵まれて何不自由のない身の上です。
 しかし、おじいさんには仕事があります。毎朝早起きをして、お寺の参道のお掃除をしているのです。草を引いたり、竹箒(たけぼうき)でそれはそれは綺麗にお掃除をするのです。秋になると、大変です。落ち葉が沢山散るのです。大きな落ち葉の山がいくつも出来上がります。冬は冬で雪かきをします。参道が長いので、八十歳のお年寄りには大変な労働です。それでもおじいさんはここ数年、一度も休んだことがないのです。おじいさんは健康です。病気などしたことがありません。機敏に動き回る姿は若々しくさえ感じられるのです。
 この朝の仕事は無料奉仕です。お寺のお坊さんも、檀家の人たちも気の毒がってお手伝いを申し出るのですが、おじいさんは「私の仕事を取らないでください。」といって強力におことわりをするのです。お坊さんも檀家の人たちも、大変感謝をしているのですが、おじいさんはそんなことには無頓着で、ただ黙々とお掃除を続けているのです。
 ある朝、お墓参りにきたおばあさんが、お掃除をしているおじいさんに尋ねました。「おじいちゃん、毎朝お寺のお掃除をしていたら、仏さまに沢山ご利益をいただけるんでしょうね。どんなご利益がありましたか?」おじいさんはお掃除の手も止めずにすぐ答えました。「わしゃこうして毎朝お掃除ができるのが一番のご利益だと思いますわい。だいいち病気になったらできませんよ。毎朝元気に起きられるのが最高のご利益です。それに家族にも恵まれて、息子の嫁が必ずいってらっしゃいと箒をさしだしてくれます。これもご利益ですよ。それから、わしはもう家の事など何の心配もいりません。お掃除でもしてないとヒマをもてあましてしまいます。人さまに喜んで貰えることをさせていただける、これこそ生きがいです。阿弥陀さまに感謝しています。南無阿弥陀仏です。」というと、おばあさんは「なるほど」と思いました。そして自分の立場も同じなのに、このようなことに気付いているおじいさんが、うらやましく思いました。おじいさんは黙々とお掃除をしています。その姿におばあさんは思わず「南無阿弥陀仏」とつぶやいていたのです。
掲載日:2009年03月25日

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