天台宗について

法話集

No.206山川草木悉皆成仏

 私が生を受けた滋賀県甲賀郡伴谷村(ばんたにむら)は、小高い山に囲まれた辺鄙(へんぴ)な村でした。田舎の朝は早く、五時ごろには雨戸を開け、炊き上がった御飯とお茶を仏さまにお供えし、念仏を称え、その鉦の音で子供たちは目を覚ましました。
 親達は朝餉(あさげ)の前に朝日に向い(冬はまだまだ朝日は上っていないが東の空に向い)柏手を打って家族の一日の無事を祈り、夕餉(ゆうげ)が終り風呂から上がると外へ出て、月に向いその日の無事を感謝する。
 太陽とともに朝を迎え、月とともに就寝する。このように私達の祖先は自然の営みの中に身を置いて生活を送ってきました。自然崇拝の姿です。

 今、人間は環境破壊を繰り返しながら開発を競い合っていますが、自然との調和を忘れています。科学の力で自然を克服したかのように思っていますが、これは大いなる誤解です。人間は自然を従えてもおらず、自然は人間を屈伏させてもいません。人間と自然はこの地球上で調和し一体となって古の時代から生きてきたのです。

 我々仏教徒にとり、日光菩薩は太陽を表し、月光菩薩は月を表すのです。地球が生きているのは太陽や月のおかげ。月は地球にとってなくてはならない星であり、常に因果関係を保ち、この地球へ我々の目に見える影響を及ぼしています。
 この二つの恒星と衛星は協力関係にあり、時には突っ張り合うことで、地球の海の潮は「干満」をつくりだしています。また満月と新月のとき、太陽と月と地球は一線上に並び、地球は太陽と月の引力を両側から受け「大潮」が発生します。そして弦月のとき、月と太陽が互いに直角方向にずれ、太陽と月の影響が一番弱くなり「小潮」が起こるのです。
 地球が生きていけるのは太陽と月のおかげ、地球は月の引力のおかげでその場所に留まっていることができています。
 その月に人間が足を踏み入れ、科学の力を過信して資源を持ち帰る計画を立てています。そんなことが、本来人間に許されるのでしょうか?

 地球は様々な生命体が存在し平等に与えられた場所です。しかし人間のみが余りにも身勝手に行動し、次は宇宙をも侵そうとしています。
 我が天台宗では、「山川草木悉皆成仏」の教えを大切にしています。自然界にあるすべての生き物には草花一つにいたるまで仏様の心が通っています。だから人間も自然界に置いてもらっている一つの生き物であるという基本を忘れてはならないのです。


(文・修験道法流 浄光院 栢木 寛照)
掲載日:2021年06月01日

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