天台宗について

法話集

No.136大自然と共に

 私どもは、30年近く奥駈(おくがけ)と申しまして大峰山系熊野から大峯・吉野(紀伊山地の霊場と参詣道・世界遺産)を歩いています。山林抖擻(さんりんとそう)、大自然と触れ合う機会を持っています。

 山中では七十五靡(なびき)(行所・拝所)の一木一草に手を合わせ読経しますし、急峻な坂道では「六根(眼・耳・鼻・口・身・心)清浄 懺悔懺悔」と掛念仏を唱え、身も心も清浄にして悪いよこしまなこころを悔い改めるよう願い前に進んで行きます。
 大自然は何の欺満も駆引きもなく大自然は大自然であります。大自然には「山川草木悉皆成仏」生きとし生けるものにはすべて仏に成りうる~山川草木みなほとけ~の御教えに基づくものであります。
 現代社会、理論・理屈も大事でしょうが、御大師様の御教え「能く行い能く言う」先ず実践・実行、菩薩行(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を通してものごとを考え観る。大自然はそう機会を与え育んでくれる。大自然に触れ「六根清浄 懺悔懺悔」を唱え、擬死再生(ぎしさいせい)と申して心、精神的に一担死に菩薩行を終え山から再び出るときには生まれ変わる。そういう大自然に触れる機会をお薦めします。
 山を歩く(山林抖擻)と申しましても、人生の縮図の如くであり、人生の山、煩悩に覆い尽くされた山を日々歩んでいる訳であり、世知辛いこの世の中、今一度御大師様の御教え「己を忘れて他を利する」「能く行い能く言う」「一隅を照らす」を思い返し日々を歩んで下さい。
 人間は大自然の中に生きており、生かされている。この大自然が一担壊されると再び元には戻らない大自然から人間は多くの恵みを受けていることに感謝を忘れてはいけない、今一度~山川草木みなほとけ~を心に刻んで頂きたい。
合掌

(文・近畿教区 那智山青岸渡寺 高木 亮英)
掲載日:2015年07月01日

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