天台宗について

法話集

No.129除夜の鐘百八つ

 こよみの日めくりもあとわずか。時の過ぎゆくのは、暮れてしまえば、矢のようにはやく感じられます。でも、振り返ってみれば、一人の人間として、また家庭として、社会全体から見ましても、一年という月日の間に、いろいろな出来事のあったことがうかがわれます。

 十二月は、師走(しわす)の月ともいわれます。墨染(すみぞめ)の衣(ころも)を着て忙しそうに走り回るお坊さんの姿から、師走の月といわれるようになりました。確かに一年中で十二月ほど短く感じる月はありません。大晦日(おおみそか)になりますとこの夜は、各ご家庭でも外回りの掃除、内部の片づけものなどで大忙しです。
 やがて、寺の梵鐘(ぼんしょう)が鳴り響いてきます。これが除夜の鐘です。梵鐘の梵は、清浄(しょうじょう)という意味です。この鐘の響きをじっと聴いていますと、行く年来る年の別れの合図のように、何となく心の奥底に感じさせるものがあります。
 除夜の鐘は、昔、中国の仏教儀式で、弱く五十四、強く五十四鐘を打ち、合わせて百八つ打ったそうです。後になって、百八つの人間の煩悩(ぼんのう)をはらうために打つといわれるように変わってきました。

 私達はお互いに、除夜の鐘を聴きながら、本年の過去を反省し、清浄潔白な心になって新年を迎えたいものです。
 「元日や この心にて世にいたし」という句があります。私達は知らず知らずに朱(しゅ)に染まりがちです。自ら自分の心を清らかにすることに励む以外、手立てはありません。
 本年も残すところ、あとわずかになりました。家中の汚れを大掃除によって落とすのと同じように、私達の心の中の煩悩という汚れも大掃除いたしましょう。そして、爽(さわ)やかに、新しい年の門出(かどで)を迎えたいものです。

 最後に、新しい年を迎える心構えとして、私の好きな詩をご紹介しましょう。

 「本 気」
 本気になると  世界が変わってくる  自分が変わってくる
 変わってこなかったら  まだ本気になってない証拠だ
 本気な恋  本気な仕事
 ああ  人間一度  こいつを  つかまんことには
                   
                       (坂村 真民)
                                                        合 掌

( 文・柴田真成 )
掲載日:2014年12月01日

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