天台宗について

法話集

No.265人生の岐路、地獄から極楽へ

 ある東京の青年が、職場の人間関係に悩み疲れ果てた末、ふと立ち寄った延暦寺のお堂で一人の僧侶と出会った。毎日のように上司や同僚との関係に苦しみ、妻と二人の子供を抱えながら身動きも取れない状況の中、毎日が地獄のようだと打ち明けた青年に、僧侶は精神的な疲労を察し、一つの問いを投げかけた。

 「仕事において、あなたは自分個人の業績向上を優先しているか、それとも同僚や会社全体の業績向上を優先しているか、どちらですか」。SEという立場上、当然のように「自分の業績向上を優先している」と答えた青年に、僧侶はお堂の奥に燈る三つのともし火-「不滅の法灯」をそっと示した。

 伝教大師・最澄の教えがびっしりと詰まったこの灯は、1200年間一度も絶えることなく燃え続け、過去から現代まであらゆる人々の道標となってきた。僧侶はその灯に込められた教えをこう語った。「己を忘れて他を利する」-自分のことは後回しにして、他者のために尽くすという生き方である。そして、先ほどの問いを改めて思い起こすよう静かに促した。

 その言葉を聞いた瞬間、青年は自分本位で強欲だった自らの考え方の浅はかさを深く恥じた。祖父から口を酸っぱくして言い聞かされた「世の為、人の為に役立つ人間になれ」という言葉が、胸の奥から甦ってきた。その言葉の中に「自分の為に」とはひと言もない。「己を忘れて他を利する」-この教えを知った瞬間、腐りかけていた頭の中身が全て入れ替わったような感覚を覚え、開眼した青年は涙ながら僧侶に深く感謝の礼を言い、山を下りた。

 帰社後、青年はすぐに行動した。長年一人で温め続けてきた未完の企画資料をすべて同僚達に提供した。複数の知恵が一つに結集した結果、仕事は大成功を収めたのである。「他者が喜んでいる有様が、自分にとってのこの上ない生き甲斐となった。毎日が極楽だ」-かつて地獄のようだった日々は、こうして極楽へと変わった。家族も活気に満ちた日常を取り戻し、以来、青年は心を洗い清めるようにと毎年比叡山を訪れ、不滅の法灯に静かに手を合わせている。

 この内容は私の実体験を記すものです。


(文・東海教区 蓮増院 高木 光基)
掲載日:2026年08月01日

その他のおすすめ法話

ページの先頭へ戻る