天台宗について

法話集

No.2307月15日

 これは盂蘭盆会の日とされています。月遅れの8月にお盆を迎える地域も多く、すぐに気づかないかも知れません。またお中元の時期でもあり、贈り物の心配をされる方もいるでしょう。お中元は中国の民間信仰である道教の習俗で、1月15日の上元、7月15日の中元、10月15日の下元の三元が贖罪の日であり、神をまつった日であったとされます。その中元と盂蘭盆会が混同され、祖霊を供養する日になったようです。

 日本では、『日本書記』推古天皇14年(606)に「寺毎(ごと)に4月8日、7月15日設斎(おがみ)せしむ」とあるのが初見とされます。お釈迦様の誕生日である潅仏会と、盂蘭盆会の法要の始まりの記録です。

 ところがこれらの事例よりも遙か昔、お釈迦様が活躍された地域と時代に、雨安居(うあんご)といわれる行事が行なわれ、夏の時期ですので夏安居(げあんご)とも呼ばれていました。それは雨期と呼ばれる南方独特の大雨の季節でした。修行僧たちはその間一箇所に留まり、托鉢は雨の間隙をぬって近所へ行き、それ以外は修行や学問に励みました。お釈迦様は弟子たちに、この時期活発に生育・生長する草木や虫などを踏まないように、安居を命じたとも伝えられます。

 その雨安居が終わる日が7月15日でした。この日は修行僧が自ら起こした罪を懺悔(さんげ)するときでもあり、自恣(じし)祭と称され初期仏教の重要な祭日でもあったようです。その日には在家の人々が食事を持ち寄り、僧たちを供養したとされました。これが仏弟子の目連が地獄にいる母を助けるため百味供養したという話と重なり、お盆の行事になったともいわれております。

 日本での雨安居の風習は、盂蘭盆会の少し後、『日本書記』天武天皇12年(683)に「是の夏、始めて僧尼に請いて安居せしむ」という記事が始まりのようです。現在も比叡山では、葛川(かつらがわ)夏安居が修行されております。

 お盆やお中元の行事は、今でも一般の人々の間で広く行われていますが、雨安居はあまり知られていません。しかしその始まりは雨安居であり、それが盂蘭盆会とお中元になりました。自坊の近くには安居(あご)という地名があります。このように安居の名前は昔からずっと残っていたようです。

 日本でも梅雨が明けると、お盆やお中元の時期になります。アジアの習俗は古くからこのように継続されています。その時代に思いを致し、静かな気持ちでお盆を迎えたいものです。


(文・茨城教区 養福寺住職 池田 晃隆)
掲載日:2023年08月01日

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