天台宗について

法話集

No.111『慈悲を習う』

「俺が、俺がの『が』で生きるな。おかげ、おかげの『げ』で生きろ」。これは先代住職の父が、私がまだ幼い頃から、ことある毎におっしゃられた言葉です。最初は何の事だか分からず、父の真意が理解出来るまで、何度も何度も叱られた思い出があります。私の自坊は檀家もなく、収入も少なかったため、父は四度伽行を終えた後、寺の運営を先代住職に任せ事業を興されました。棄てられる古着や肌着を回収加工し、ウエス(機械油等の汚れを拭く布)として再利用する事業でした。現在ならリサイクル事業として注目されるでしょうが、当時は「ボロ屋」「ゴミ屋」などと揶揄されたものです。幼かった私は、友人や知人からの心無い言葉に傷つき反発し、父をずいぶん困らせたものでした。その度に父は「全てのものには命があり、最後まで使わなきゃ勿体無いだろ。お父さんは皆さんのお役に立てるこの仕事に誇りを持って頑張っているんだ」と、私をたしなめて下さいました。また事業がうまく行き少し余裕が出来た頃、手の平を反した様に、父にお金を借りに来られる方々がいました。私は「やっと余裕が出来たのに…」「あれだけ馬鹿にされたのに…」と思っていると、父は「お人好し」なのか、笑顔で何も言わずにお貸ししていました。その理由を尋ねると「今あるのは仏様のおかげ、皆さんのおかげなんだ。誰も自分一人では決して生きては行けないんだよ」と、冒頭の言葉を私に残して下さったのです。その後、事業は順調に拡大しその利益で、奥の院や護摩堂や鐘楼堂、本堂の改修や数々の仏像の建立など、今の自坊の基礎を作られたのです。「思い上がりや我欲を戒め、おかげさまの心を育み、毎日を精進して生きる」ー 今年は父の十三回忌にあたります。

(文・酒田観耀)
掲載日:2013年05月27日

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