天台宗について

法話集

No.109先立つ

数えて91歳になるおばあさんが臨終の時を迎えた。
この日、お昼ごはんを食べ、しばらくして見ると、息が止まっていた。静かに息を引き取ったらしい。穏やかな顔であった。
山間部の村に生まれ育ち、当時蜜柑の仲買いを営む主人と結婚し、調子の良いときには結構羽振りも良かったらしい。
今年63歳になる長女が生まれて間もなく、100万円(昭和20年台後半の100万円。現在にすれば相当な額だろう)の負債を負って食うに食えなくなり、都市部の親戚を頼って幼子を連れて村を出た。しばらくして八百屋を開業。夜遅くまで仕事、朝早くから家事に子育てと一生懸命に働き通しに働き、娘さんも二人増えた。長女には真面目なご養子に恵まれ、残る二人も幸せに暮らしている。
お盆やお彼岸にお参りするときは決まって夜になる。仕事で疲れているだろうに、いつも気遣ってくれ、私の後ろに座り一緒にお経を唱えてくれていた。
28年前に主人に先立たれた後も娘夫婦と一緒になって働き、人を気遣いながら変わらぬ生活を続けていた。
13年前に脳出血で倒れ、寝たきりで話す言葉も分かりづらくなったが、話しかけるとかすれた声で聞き取りづらくはあったが、元気な頃と同じようにこちらのことを気遣ってくれた。
葬儀当日、喪主の挨拶に続いて娘さんがこう話し始めた。
ここで皆さんにお世話になって、母は生きてきました。働き通しに働いて、いつも夜中の1時、2時頃まで起きて、何かしてないと気が済まない、という風に生きてきました。そうやって私たちを育ててくれることが母親の勤めなんやな、って思ってました。それが当然のことやなって思ってました。13年前に脳出血で倒れて動けなくなって、その時に私は、これから私は親の面倒をみる立場になるんや。今までの親と子の立場が逆転して、私が面倒をみる立場になるんや、って思いました。
でも、それは違ったんです。
ある時私は、こんなこと聞いたらアカンとは思ったんですけど、母親に聞いたんです。「こんなになって、生きてたい?」。
母親はこう言いました。「生きてたい。」
えっ?生きてたい?
こんなになっても生きてたいんやなぁ。生きる思いってすごいんやなぁ。
知らぬ間に私は母親に教えられていました。
私は、その答えを聞いて生きる力をもらいました。寝たきりになった後も無理を言わないばかりか、私たちを気遣い、「大丈夫か。しんどないか」と話しかけてくれました。そんな母はやっぱり母でした。立場が逆転して私が親になる、というのは間違っていました。親はいつまでも親だったんです。
「死んでしまうと何もかも終わり、無になる。」と言う人もいるが、決してそうではない。亡くなった人は過去にあって、忘れ去られていくものではない。
「先立つ」という言葉のとおり、先に立って進んで行っていて、ずっと前にいる。その姿を思うことは、「生きる糧」となっている。

(文・兼平明觀)
掲載日:2013年03月22日

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