天台宗について

法話集

No.214生きがいある人生

 人生の最後のときに「生きてきて良かった。いい人生であった。」と思えたら生きがいある人生であろう。では、そのような人生はいかなる「生き方」から生まれるであろうか。

 まず、人生に生きる目標や、打ち込めるものがあるということ。そして、その中に少しでも「人や社会のために役に立つ」という、人間本来の心を磨き、人間性を成長させるものがあるということが大切である。「一隅を照らす、此れ即ち国の宝なり」という、伝教大師最澄(天台宗開祖)の言葉がある。自分の置かれたポジションで世の中を照らし、社会や人の為に尽くす人間は国の宝であるというのである。形あるものが国宝ではなく、一隅を照らす志を持った人間こそ国宝というのだ。仏教では、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう) 」 (生きとし生けるものは皆仏になる素質をもっている)とも「衆生本来仏なり」ともいう。人間の本性、本質は「仏性」というのである。だから、ささやかなことでもいい、困っている人を助けたり、良いことをしたときは気持ちがいい。逆に、悪いことをしたり、後ろめたいことをしたときは気持ちが悪いのである。

 アフガニスタンで戦災や飢餓、干ばつに苦しむ多くの人々の救援活動に取り組んでこられた、ペシャワール会の中村哲医師(2019年に銃撃を受け死亡)が好んで使われた言葉が「一隅を照らす」であった。中村哲医師の生き方は「一隅を照らす」そのものであった。多くの人に「仏性(慈愛)」こそ人間の本質であることを、人道支援活動を通して示していただいた。
 自己中心の「我欲」ではなく、「仏性」に基づいた生き方からこそ、本当の「生きがいある人生」が生まれてくるのである。

 仕事はただ利益を得るだけのものではない。その仕事を通して人や社会に役に立ち、己が人間を磨いていくことでもある。そうすれば自ずと社会から必要とされる人間になっていく。そのような人間には当然ながら「生きがい」が生まれてくるだろう。
 生きがいある人生は、幸せな人生である。自分の人生に最後の別れを告げるときに、「生きていてよかった。いい人生であった。」と感謝のできる人生を送りたい。


(文・九州西教区 清水寺 鍋島 隆啓)
掲載日:2022年03月01日

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