天台宗について

法話集

No.205のりのともしび

 3月11日、日本は東日本大震災発生から十年を迎えた。十年の歳月は暮らしの中の様々なものを変えた。
 そして、終息が全く見えぬ新型感染症は、一年余りの間に私たちの日常から多くのものを奪い、人々の生活は一変した。
 かの大震災も新型感染症も、それまで当たり前であったことを、当たり前ではなくしてしまった。

 社会のしくみ、生活習慣が大きく変わったが、それでも変わらないものはある。そのひとつが人間の「悲しみの感情」である。
 自然災害に疫病。それは古くから常に人間たちの暮らしとともにあり、それらによる悲しみも常に私たちの傍にある。そして、その消えることのない悲しみは、災害や疫病によるものだけではない。いつの時代も、限りある生を生きている人間であるが故の、終わることのない悲しみが私たちの傍にある。昔も今も、洋の東西を問わず、人間の悲しみというものに大きな違いはない。どれほど文明が発達しても、科学が進歩しても、時代が変わっても、人間の「悲しみの感情」は変わるものではない。

 それでも、変わらないものもある。他人の悲しみを我がものとする心、そして他のために生きる心である。宗祖大師様は、そのお心を灯火に託し、それが後の世までをも照らすようにと念願された。そして、それはお大師様の願い通り、今の私たちの命の中に点っている。お大師様の点された灯火は、今も変わらず生き続けているのである。
 何故、灯火は今でも消えることがないのか。それは、とりもなおさず、世界から悲しみが尽きることがないからなのだ。人間はいつの時代も悲しみを抱えており、その悲しみには終わりがない。人間は明かりを必要としている。だからこそ、迷える人間たちの道を照らす灯火は、今まで消えることがなかったのである。否、消さなかったのである。
 そう。私たちの勤めは、人々が守り通してきた灯火を、後の世まで消さずに継いで行くことなのである。我が内にあるお大師様のお心を、眠らせてはならないのである。


(文・栃木教区 實教院 鈴木 常元)
掲載日:2021年05月01日

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