天台宗について

法話集

No.149虚空のごとく生きよ

 「色即是空、空即是色」はどなたもご存じの般若心経の有名な文句です。でもこの教えを、実際、どのように生かしたらよいのか、わかりにくいものです。そこで、ご法要のときに天台宗でよく唱えられます、もうひとつの言葉をご提案しましょう。「処世界(しょせかい)、如虚空(にょこくう)」、すなわち、世界に処(しょ)する(※居る)ときは虚空(※なんにもない)のごとくであれ、ということばです。

 わたしたちの身の回りはあまりにせわしない。毎日がしなければならないことでいっぱい。したくてもできない、やりたくなくてもやらなければならないということが多すぎます。それこそ生きていることが嫌になっちゃうこともあります。こんなときには「虚空のごとし!」。

 拙僧は仕事がら、お葬式によくかかわりますが、故人は最期を迎えたとき、生きてきてよかった、生まれてきてよかった、と思ってくれていたかどうか、心配なときがあります。人生、いつも充実しているとは限りません。世知辛い世間、しがらみの多い世界。将来も不安、過去も後悔。こんな世の中のことを「娑婆(しゃば)」とか「憂き世(うきよ)(※浮世)」とかいいます。娑婆は梵語で「サハー」といい「忍土(にんど)」と訳され、つらいことがいっぱいの世界のことです。どんなに頑張って成果をあげた人でも最後には死が待ちかまえています。ときによると何のために生まれてきたのか、深い懐疑に突き落とされることもあるでしょう。

 このうっとうしい娑婆をどう乗り切るか。「虚空の如く」、これでしょう。どのようにしたらよいでしょうか。ふつうによくやっているのは、映画を見たり旅行に行ったりする憂さ晴らしです。でもこれは日常の延長の趣味の範囲です。お寺に行きましょう。法事に参加しましょう。お寺や法事は、観劇や旅行と同じように、非日常空間に触れることができるのです。「非日常」から見れば「日常」はたわいのないもの。これを達観すれば軽妙洒脱の感を得られます。

 でも軽薄ではいけません。虚空の「如(ごと)し」です。「如」は「同じ」であるとともに「似たようなもの」という意味をもちます。だから世間の重みも同時に知ってこそ、軽妙さが生きてくるのです。こだわりをなくしてこそ、ほんとうに大切なもの、こだわらなくてはならないものが見えてくるのです。この逆説が般若心経の真意と思われます。この自在感を得るこころのありようを作るのが「虚空の如くあれ」でしょう。


(文・茨城教区 最勝寺 渡辺 明照)
掲載日:2016年08月01日

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