天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第8号

新しい流れを作りたい
- 一隅を照らす運動総本部長に就任した壬生照道師 -
 最初に一隅を照らす運動総本部長への打診があったのが9月30日。それから悩みに悩んだ。決断をうながすために、西郊宗務総長自らが長野県下伊那郡の隣政寺に足を運び、就任を懇請した時に言った。
 「…本当に、私のような者でいいんですか?」

 寺にいて、檀家だけを相手に生きてきたわけではない。天台宗の僧侶としては、型破りだとの自覚がある。
 地元の飯田女子高校を、校長で定年退職したのが平成十年である。「そこで、ヒラ教諭を十年、学年主任を十年、教頭十年、副校長四年、校長四年、しめて三十八年の勤続」。同高校は、浄土真宗が運営する私立高校である。さぞ、やりにくかったと思うが「そんなことはない。元をただせば、みなお釈迦様。だいたい、狭いセクト主義を意識していたら、いい仕事はできない」。その主張の結果を、校長就任で裏付けた。
 「じっと、椅子に座っているのが大の苦手」。校長室には、ほとんどおらず、職員室で後輩教師と話すか、庭木の手入れをしていた。「今は、教師もちゃんと見ていないとノイローゼになる。庭にいて授業をサボった子を見つけると、叱るのではなく、雑談しながら悩みを聞いていた」という「一風変わった」校長先生であった。「自分が校長時代に、退学処分にした生徒はひとりもいない」。
 教師になりたての頃はソフトボール部の監督。全国大会寸前まで行って敗れる繰り返しだった。
 「そのころの壬生先生は怖くて、話しかけられなかった」という証言がある。今も六十四歳にはとてもみえない眼光である。「怒る時は、ためらわない。計算もしない。ただ年を重ねるにつれて色々なものが見えるようにはなった。けれど、丸くはなっていないつもり」。
 地方行政の長である宗務所長を四年務めた。一隅運動については「西郊宗務総長の意向を充分に聞いてから」と前置きしつつも「地方で見ていても、マンネリ。信仰運動か社会運動か、という議論は承知しているが、どちらも会員の喜びとならなくては、意味がない。中央か地方かということよりも、私は新しい血を入れることが必要ではないかと感じている。僧侶だけによる企画運営は、今の時代にそぐわないのではないか」。
 「一般社会の人々から、どう見られているかを自覚しなくてはならない。私は、思い切ったことも言うが、そうした裸のつきあいをしなくては心を通じ合うことができない」が持論。  
 母校の大学から、より好条件で第二の人生を提示されていた。それを蹴っての就任である。決意をさせたのは、今年八月に急逝した茨城教区宗務所長の光栄純秀師との約束だった。天台宗の未来を話し合う同志だった光栄所長は、ことあるごとに言った。「機会があれば、僕は、壬生さんに一隅をやって欲しいな、あなたが適任だよ」。
 「そのことがなかったら、おそらく受けていないと思う」。
 趣味は山歩きと、キノコ狩り。アウトドアライフの人である。「山道だって寝られるから、当座必要なものだけ車に積んでいけばいいだろう」と、大津市坂本の役員宿舎に十一月一日着任した。国語の教師だったからではないが方丈記を愛読する。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。流れる水は同じではなく、つねに新しい水がながれている。改革に託された任期は二年である。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

 目覚めたら安達先生がいたんですよ。幻覚かと思ったけど、あったかいし、涙もポトポト落ちてくる。で、ギュッと手を握って「あなたは私の夢だから死なないで」って。ずーっと朝まで傍にいたんですよ。血を吐いたら全部拭いてくれてねえ、オシメも替えてくれて………。

週刊文春10月16日号 阿川佐和子のこの人に会いたい 「義家弘介さん」

 「ヤンキー母校に帰る」というドキュメンタリー番組がテレビで放送され大反響を呼びました。このいわゆる「ヤンキー」とは、北星学園余市高等学校教諭の義家弘介さんのことです。
 十五年前、不良少年で親からも学校からも見捨てられた義家さんは、里親に引き取られ、高校中退者を募集していた北海道の北星学園余市高等学校に入学し、一人の先生と出会い立ち直ります。
 彼は、卒業して、大学に進み司法試験の準備中に不慮の事故に見舞われ、生死の淵を彷徨よっていた時、ふと目覚めると、恩師の姿が見えました。それが、冒頭の言葉です。それまで「もう死にたい、殺してくれ」と思っていた彼は、初めて、生きたい、どんなに苦しくても生きたいと思うのです。そして、自分のことを「夢」だと言ってくれた人が歩いてきた教育という道に進むことを決めるのです。
 「一生懸命生きていることを、希望を見せてあげれば必ず前に進める。だから夢を与えるのは大人の仕事なのです」。母校に赴任して五年目になるという義家さんは、生徒とまっすぐに向き合い続けています。

鬼手仏心

人はゴミではない   天台宗宗務総長 西郊良光

またか、と思う。
 神奈川県で、小学校6年生の児童らがホームレスの男性を襲い、けがをさせたとして補導された事件だ。
 少年らは「ストレス解消のためにやった。社会のゴミを退治する感覚だった」と話しているという。日本には、弱者のことを思いやる「惻隠の情」という言葉がある。誰が段ボールやブルーテントを家とし、猛暑や極寒の中を暮らしたいと思うか。路上に暮らす人々には、それなりの苦しい事情がある。
 そこに今の日本がおかれている縮図がある、といっても、彼らの事情を推し量れといっても、それは小学生には無理かもしれない。
 しかし、それにしても人間をとらえて、ゴミ退治とはなんということか。
 私たちはいのちあるものは人間はもちろん、草木にいたるまで「ほとけの子」として尊ぶことを学んできた。
 このような事件が起きるたびに、家庭、教育、躾、色々なことが頭をよぎるが、心が震えて言葉もない。それはまた反面、仏教の教え、また宗祖の教えを敷衍すべき私たちの努力が足らぬ事実として、痛く胸を刺す
 日本は、ここ数十年、追いつけ、追い越せを至上として進んできた結果、恥を知る文化を失ってしまった。その結果、自己の利益こそが最終目的になってしまい、いじめなどに端を発した精神の荒廃は、あっという間に私たちが日常生活で、身の危険を感じるまでに膨れあがってしまった。
 人間は、本来、助け合って共に豊かに生きてゆくべきである。宗祖の説かれた「己を忘れて他を利する」とはそういう意味である。

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