天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第38号

天台宗 紺綬褒章を受章-新潟県中越地震義援金支援に対して

 平成十六年の新潟県中越地震で、天台宗は災害対策本部を立ち上げ、義援金の募金活動を行った。そして、新潟県に集まった一千万円の義援金を寄付したが、このほどその功績に対して天皇陛下から小泉純一郎総理大臣を通して紺綬褒章(褒状)が贈られた。

 =復興目指す現地に思いを寄せる=

 紺綬褒章の伝達式は、佐藤隆新潟県大阪事務所長を通じ、四月四日に天台宗務庁において行われた。贈呈式には、天台宗を代表し、濱中光礼宗務総長と内局が出席。
 被災地では、現在でも旧山古志村の住民が村に戻れず仮設住宅で暮らしている。雪のために、道路などのライフラインの復旧が遅れているが、今年秋には幹線道路の復旧が完成する見通し。しかし、完全復旧にはなお二、三年を要する見込みである。
 天台宗と総本山延暦寺では、被災直後に現地に視察団を派遣し、被災寺院への見舞いと励ましを行っていた。そして全天台宗寺院と檀信徒に向けて、義援募金を呼びかけたものである。
 伝達式では佐藤事務所長が感謝の言葉を述べて、紺綬褒章を濱中宗務総長に伝達。
 濱中宗務総長は「最近ではマスコミ報道も減ったが、復旧支援は、世間が忘れはじめた頃からが大変。これからも物心両面の支援を考えたい」と述べた。
 佐藤事務所長からは、旧山古志村では、人ばかりではなく、取り残された牛千六百頭のうち、一カ月かけて千四百頭を救出したという秘話も披露され、関係者が一丸となっていのちの救済に取り組んだ様子に天台宗内局も感銘していた。
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宗議会議員改選 30人の議員が確定
-選挙規程改正後の初選挙 新人14人 再選16人-

 四月十五日の任期満了に伴う宗議会議員選挙が実施され、四月六日、三十人の議員が確定した。
 今回の選挙は、伝承法流と北海道管内が一つの選挙区となり、議席が二十九から一つ増えるという、選挙規程改正後、初の選挙。任期は平成十八年四月十六日から四年間。
【延暦寺一山】武 覚超(求法寺・再)
【滋   賀】岸 道久(引接寺・新)
【京   都】木ノ下寂俊(方廣寺・新) 
【近   畿】高木亮享(那智山青岸渡寺・再)
【兵   庫】荒樋榮晋(神池寺・新) 
【岡   山】吉山亮公(明王院・再)
【山   陰】清水谷善圭(清水寺・再) 
【四   国】柞原俊孝(行泉寺・再)
【九 州 東】阿部昌宏(觀音院・新) 
【九 州 西】角本尚雄(長壽寺・新)
【三   岐】佐藤文雄(密巌寺・再) 
【東   海】可児光永(甲山寺・新)
【北   陸】青木大瑩(藥王院・再) 
【信   越】小林玄海(長養院・再)
【神 奈 川】中島有淳(等覺院・新)
【東   京】阿 純孝(圓融寺・新)、杜多徳雄(法藏院・新)
【北   総】大照堯弘(修徳院・再) 
【南   総】細野舜海(観明寺・新)
【埼   玉】清水英雄(泉福寺・再) 
【群   馬】小川晃豊(常泉寺・再)、田中祥順(光巌寺・新)
【茨   城】松永博英(安樂寺・再)
【栃   木】小暮道樹(櫻本院・再)、福武安文(城興寺・再)
【福   島】林 光俊(金禮寺・新)
【陸   奥】山田亮清(東雲寺・再)
【山   形】工藤秀和(寶光院・新)
【伝承法流及び北海道】
       栢木寛照(慈照院・再)、岡 秀法(妙法寺・新)
                      =以上敬称略
 尚、宗議会議員改選後、初の議会となる臨時宗議会が、今月末に予定されている。
 

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
 (中略)
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子 花神社刊「自分の感受性くらい」より

 この冬、詩人の茨木のり子さんが亡くなりました。
 これは「戦後詩の長女」と言われた茨木さんのよく知られた詩。この詩に接して「頭をガツンとやられた」とか、「思わず背筋を伸ばした」という人は数多くいます。
 彼女は青春時代に軍国主義から民主主義へという、大転換を経験します。その経験から、自らの眼で見、自らの手で触り、自らの心で感じたことのみを信じること、それが茨城さんの出発点となりました。以後、その凜とした感性、自らを拠りどころとする姿勢が詩の中を貫いていました。
 お釈迦さまの言葉「自灯明」にも通じることですね。自分の人生を本当に自分の問題として、責任を持って生きなさい、ということです。
 今の時代は、情報が溢れかえり、自らの眼で真実が見にくくなっていると思います。マスコミや評論家のいうことを、さも自分の言葉のように語る人を、山本夏彦さんは「口パク」と揶揄(やゆ)しました。
 心の柔軟体操を続けて「ばかもの」にならないよう日々生きていきたいものです。

鬼手仏心

『汚い猫』  天台宗出版室長 小林 祖承

 
 セーターやベストを着たペットをよく見かけます。
本来、動物、特に犬には体温調節機能が備わっているから、セーターやベストを着せたら暑くてたまらんだろうと思うのは、ペットを持たぬ身のひがみでしょうか。
 これらのペットに共通なのは、単独でいる例は皆無で、必ず飼い主と一緒だということです。自分の子どもか、それ以上に愛情を注いでいるのは、はた目にも明らかです。心理学的には、飼い主の心理が投影されているということになるそうです。きれいで、かわいいペットの姿に自分自身を見ているというのです。
 今年生誕百二十年を迎え、展覧会が開催されている画家・藤田嗣治に「きれいなネコより、私は、汚いみじめなネコが好きです」と言う言葉があります。
 藤田は、東京美術学校を卒業後、フランスに渡り、モディリアニらとともにエコール・ド・パリ(パリ派)を代表する画家です。人物ばかりではなく、数多くの猫の絵も描きました。
 彼の言葉には、異邦人の淋しさが投影されているという見方もできるでしょうが、そればかりではなく独特の美意識、あるいは人生観が強くにじんでいるような気がします。誰だって汚いよりきれいがいいと思うでしょう。しかし人生の真実は「きれい」よりも「汚くみじめな」方に潜んでいる、少なくとも自分はそちら側の人間だという宣言だとも聞こえます。藤田は「婦人たちの乳白色の優美な肌」を描き絶大な人気を博します。一見矛盾するようですが、人々は、彼の描く優美さの底に「汚くみじめな」ものに共感する繊細さを感じ取ったのではないでしょうか。
 きれいな蓮の花も、汚泥の中に咲きます。

仏教の散歩道

少病少悩

 『法華経』の「見宝塔品」には、
 -少病少悩-
 といった言葉が出てきます。なかなかすばらしい言葉です。
 宇宙のあちこちからやって来られた諸仏が、それぞれ使者を送って釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)に挨拶させるのです。そのとき諸仏は、使者に指示します。すなわち、釈迦牟尼仏には、
 「世尊よ。いかがですか。少病少悩でおいでになられますか。気力安楽にましますか」と。そのように挨拶するように、というのです。
 無病息災といった語があります。わたしたちは、病気をしないでいることがいいことだと思っています。また、悩みのないことが理想なんです。
 けれども、仏教はそのような考え方をしません。
 この点に関しては、釈尊がなぜ出家をされたかを伝説的に物語る話に、
 -四門出遊(しもんしゅつゆう)-
 があります。釈尊は釈迦国の太子であったのですが、あるとき宮殿の東の門から郊外に遊びに出て老人に出会い、愕然(がくぜん)とされます。次に南の門を出て病人に出会い、さらに西の門を出て死者と出会い、人生にはこのような老・病・死の苦悩のあることを知って愕然とされるのです。そして最後に北の門に出て、沙門(しゃもん=出家修行者)を見て、その生き方に感銘を受け、ご自身も出家を志されたというのです。
 この物語から知られることは、釈尊は、人間にとって老・病・死が抜き差しならぬ現実だということを認識しておられたのです。わたしたちは老・病・死を克服することはできないのです。
 この認識が大事です。仏教は、この認識から出発します。
 わたしたち現代人は、医学や科学・技術によって病気を克服しようとします。病気と闘い、病気をなくそうとするのです。たしかに細菌やウイルスによって起きる病気であれば、病気と闘って勝てるかもしれません。でも、ガンのような病気は、外から侵入してきたものではありません。自分のからだの細胞がガン化したのです。そのガン細胞をやっつけることは、自分自身をやっつけることになります。仏教から見れば、それは愚かな闘いだと思います。
 仏教は、病気を克服しよう、悩みをなくそうとしません。ほんの少し悩めばいいのです。病気というものは、本来は「気を病んでいる」のです。ですから病気になれば、ほんの少し気を病めばいい。病気を全治させようとすれば、一日二十四時間、まるごと気を病むことになってしまいます。そんなことをするな!
 仏教はそう教えています。
 「少病少悩」-いい言葉だと思われませんか…。

カット・酒谷 加奈

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