天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第29号

天台の行と祈り-
御霊安らかなれ=広島に誓う世界平和=

 広島市平和記念公園で、七月十四日に「天台の行と祈り」が執り行われた。同日は比叡山の千日回峰行者として知られる酒井雄哉大阿闍梨が講演し、午後からは天台座主代理の森川宏映毘沙門堂探題大僧正が大導師となり、採灯護摩の「戦没者慰霊・世界平和の祈り」が修された。参加した千五百人の人々は、天台僧百名と共に慰霊と平和の祈りを捧げた。

 「天台の行と祈り」は、天台宗寺院が少ない地域に、天台宗や比叡山をアピールする特別布教のひとつとして企画された。天台宗開宗千二百年慶讃大法会記念事業の一環でもある。講演で酒井師は、千日回峰行の厳しさと、行者の決意を語った。また、採灯護摩供は、今年は被爆・終戦六十年を迎えるところから、七万柱の遺骨が眠る原爆供養塔前広場を会場に森川大導師のもとに、酒井大先達はじめ北嶺回峰行者、天台修験者多数が出仕して厳修された。  森川大導師は、採灯護摩供による「祈り」を修するにあたり、天台座主猊下の願文を奏上した。
 その中で、広島原爆投下六十年の区切りを迎えたことに対して「極楽天上の諸尊霊の鎮魂に丹精を凝らす」とし「その被災を微塵たりとも忘ることなく過去を顧み、ますます愛情と慈しみに充満したる日常の営みに、人為の限りを尽くさんとする」と述べた。
 広島県で、これほど大規模な天台宗の行と祈りが行われるのは、今回が初めて。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

今宵 うら盆の燈をかかげ
それぞれのみ魂のふるさとにて
み魂のかへり来ん日を祭れり。
戦ひ敗れ山河茫々(さんがぼうぼう)
人心嶮(けわ)しく情誼(じょうせん)地(ち)に堕(お)ちたりといへども
燈をかかげ香をつぐことなんぞ昔日に渝(かわ)らんや
幾夜かをやどりたまへ
幾夜かをゆるりと遊びたまへ。

『盂蘭盆の歌』 室生 犀星 「旅びと」昭22より

 終戦六十年を迎えました。
 終戦記念日は、ちょうどお盆の頃にあたります。
 その日、終戦を迎えた人々は、どのような気持ちでお盆を過ごしたのでしょうか。
 戦に敗れて、山も河も荒れ果て、人々の心もささくれて、情けも地に落ち、食べるものもなく、着るものもなくても、それでも人々は迎え火を焚き、香をくべて、亡くなった人々を招いたのでしょう。かかげる燈もなく、くべる香もない人は、ただ合掌して招いたのではないでしょうか。
 「戦争が終わりました」と。
 今の平和な日本にいて、六十年前のことを思えば、人間は愚かだが、しかしそれを乗り越えてゆく賢さを持っていると思うのです。相変わらず、その間で揺れているようにも見えますけれど。
 今はただ、六十年前の戦争で亡くなられた方々の、み魂安らかにと念ずるばかりです。
 お盆は、戦争の前も、後も、そして今も、かわらずに亡くなった人を偲ぶ日です。そして、「ゆるりと遊びたまへ」と亡くなった大切な人々をもてなす日でもあります。

鬼手仏心

ツバメ日記  一隅を照らす運動総本部長 壬生 照道

 
 五月にツバメがやってきて、庫裡に巣を架けた。
 六月に三羽の雛が生れ、育つのを楽しみにしていたのだが、ある日、巣が襲われバラバラに壊されてしまった。近所の猫にやられたのだろう。
 地面には、二羽の雛が残されていた。すぐに拾い上げて竹かごにいれ、元の場所に戻してやったが、親ツバメは、壊れた巣と雛には見向きもせず、空のかなたへ消えていってしまった。
 仕方がないので、二羽の雛の世話をすることにした。生き餌のイトミミズを割り箸ではさんで与えると、口を大きく開いて食べる。全身、これ口という感じになってかわいい。ただ、十五分ごとに、餌をねだってピーピー鳴くので、大忙しである。
 このまま育ててもいいが、ちゃんと野生の餌を採れるようになるか、自力で南へ帰ってゆけるか心配になったので、翌日、県の鳥獣保護センターに連絡してみた。すると「育てるのは規則違反です。こちらで預かりますから持ってきてください」という。
 センターには「雛が落ちていても持って帰らず、自然にまかせて下さい」というポスターが貼ってあった。生態系を壊さないで欲しい、ということだろうが、どうも釈然としないものが残る。しかし、餌にしたイトミミズだって命あるものだし、襲った猫も腹が空いていたのだろう。
 慈悲の気持ちがいくらあっても、すべての命を自分の思い通りに出来るわけではない。自分の雛の命だけかわいいというのはエゴかと思い直した。
 センターでは、雛たちが無事に育てば、ハガキをくれるという。

仏教の散歩道

迎合するな!

 幇間(ほうかん)は俗に太鼓持(たいこも)ちとも呼ばれます。辞書(『大辞林』)によると、
 《宴席などに出て、客の機嫌をとり、その席のとりもちをすることを職業とする男》
 だそうです。客の機嫌をとるには、おべっかを言えばよい、胡麻(ごま)を擂(す)ればいいのだから簡単なことだ、と思わないでください。なかなかどうして太鼓持ちはむずかしい職業のようで、よほど頭がよくないと優秀な太鼓持ちにはなれないそうです。そういうことを、東京の吉原で太鼓持ちをしていた人から聞いたことがあります。
 いえ、太鼓持ちの話をしようとするのではありません。わたしは職業としての太鼓持ちを軽蔑してはいませんが、しかしどうかお坊さんは太鼓持ちにならないでくださいと言いたいのです。というのは、ときどきお坊さんから、
 「仏教の教えはよくわかるのです。たとえば、死んだ子が生き返る道理がないのだから、あなたは死んだ子をあきらめなさい、と説くべきだということはわかっています。けれども、殺人犯にわが子を殺された親に対して、あきらめなさいとはなかなか説けません。そういう場合、いったいどのような言葉をかけてあげればよいのでしょうか?」
 といった質問を受けます。そんなときわたしは、
 〈ああ、このひとは太鼓持ちになろうとしているのだなあ…〉
 と思ってしまうのです。もちろん、面と向かってそんなことは言えませんが…。
 なぜなら、仏教者が説くべきことは、仏教の教え、釈迦の教えです。殺人犯にわが子を奪われた親の悲しみ、憤り、怨みには同情するべきものがあります。でも、それに迎合して、「あなたの気持ちはよくわかる。あなたが犯人を怨むのは当然だ」と言えば、そのときお坊さんは太鼓持ちになってしまいます。仏教者は迎合してはならないのです。
 お釈迦さまは、次のように言っておられます。
 《およそこの世において、怨みは怨みによって鎮まることはない。怨みを棄ててこそ鎮まる。これが不変の真理である》(『ダンマパダ』5)
 もちろん、われわれは凡夫です。だから被害者になれば、加害者を怨むのはあたりまえです。それゆえ「怨むな…」と教えることはできないでしょう。お釈迦さまの言葉は、泣いている人にとってあまりにも酷(むご)いものです。でも、だからといって、「あなたの気持ちはよくわかる」と言うのはおかしいのです。それを言うくらいであれば、黙っているべきです。
 なぜなら、被害者は加害者を怨むことによっては、心の平安は得られません。怨み・憎しみの日をいつまでも燃やし続けていては、心の平安は得られないよ、とお釈迦さまは教えておられます。そのお釈迦さまの言葉が正しいのです。仏教者はそれを忘れてはなりません。

カット・伊藤 梓

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