天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第221号

――平和とコロナ終息願い――明年35周年へ祈りの精神継承

 諸宗教指導者らとの対話と祈りを通じて世界の平和に献身する比叡山宗教サミット34周年「世界平和祈りの集い」が8月4日15時10分から比叡山延暦寺で開催される。全国各地の宗教指導者や代表者らとインターネットで繋いで平和の祈りを捧げる予定で、出席者を限定し、細心の感染防止策を講じながら執り行われる。
 式典の模様は天台宗公式ホームページ上にて同時中継し全世界に向けて配信される。

 式典は、比叡山延暦寺一隅会館前広場を会場に15時10分から開式され、比叡山メッセージを朗読、森川宏映天台座主猊下が世界平和を願う〝お言葉〟を述べられた後、15時半には「世界平和の鐘」を打ちならし黙祷による平和の祈りを行う。また青少年が平和への思いを発表、その内容に対し宗教者から感想が語られる。海外からの平和メッセージ披露を含め所要時間はおおよそ1時間を予定している。

 例年、平和の祈りでは、参加者代表が舞台にそろって登壇し黙祷を捧げていたが、コロナ禍の終息が見通せない現状から、舞台上に大型モニターを設置して各団体代表者にオンラインでの参加を依頼した。子どもたちの平和への思いがしたためられた色紙を掲示して舞台上に奉納される。

 阿部昌宏宗務総長は「明年、比叡山宗教サミットは35周年という節目を迎えます。先達らによって紡がれてきた比叡山宗教サミットでの誓い、祈りの精神を途切れることなく確実に次世代の宗教者へ継承し、コロナ後の新たな社会に真の平和が訪れることを共に願い祈りを捧げてまいりましょう」と呼びかけている。

※写真は令和元年8月4日のサミット32周年記念式典の模様

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

私にとって愛は、ぬくもりです。
小さな勇気であり、やむにやまれぬ
自然の衝動です。

向田邦子

 ゆで卵を手に取ったり食べようとする時、時々この掲げた言葉を思い出します。この言葉は、今は亡き脚本家の向田邦子さんの「ゆでたまご」というエッセイにある言葉です。小学校4年のとき、向田さんが級長をしていたクラスに片足の悪い少女がいました。背も飛び抜けて低く、勉強もビリ。家も貧しいようで、衿(えり)が垢(あか)で光ったお下がりの服を着ていたそうです。そんなこともあってか、性格もひねくれていて、他の子も先生も可哀想だと思いながらも疎んじていたようです。

 遠足の日、級長の向田さんのところに、その少女の母親が来て、かっぽう着の下から大きな風呂敷を出し「これみんなで」と小声で繰り返しながら、向田さんに押しつけるのでした。中身は古新聞に包んだ大量のゆで卵。こんな持(も)ち重(おも)りのする荷物を持って行くことに一瞬ひるみましたが、頭を下げ続ける母親の姿に、向田さんは嫌とはいえませんでした。校門の脇で見送る父兄たちから一人離れて見送っている母親の姿が眼に焼き付いていたそうです。

 向田さんは「私は愛という字を見ていると、なぜかこの時のねずみ色の汚れた風呂敷とポカポカとあたたかいゆでたまごのぬくみと、いつまでも見送っていた母親の姿を思い出してしまうのです。」と振り返ります。

 愛というものにも、いろいろな愛があります。恋人同士の愛、兄弟愛、友人愛、さらに大きくいえば、人類愛、人間同士でなくても郷土愛なんていうのもあります。なかでも、母と子の間に見られる愛情表現は、ストレートに誰の心にも響くようです。

 それは、やはり、愛するものに対するぬくもりであり、小さな勇気であり、やむにやまれぬ衝動があるからでしょう。

鬼手仏心

聞くこと

 本稿は30余年前、筆者に「聞く」ことの大切さを教えてくれた思い出ばなしである。比叡山での小僧生活に入って2年に満たないころ、近くのお堂で大きな法要があり大勢のお参りがあった。その午後には梅雨らしいシトシト雨が豪雨に変わった。

 お参りも途絶えがちになったころ合い、本堂への月参りを終えた和服にモンペ姿の老婦人が簡素な休憩所を兼ねた受付に戻ってこられた。挨拶をかわし、雨宿りを勧めると番茶を喫(きっ)しながらの世間話となった。雨は続き、人の出入りも途絶えるなか、婦人の話題は家族そしてお嫁さんとのことに移り、徐々に不満の度合いが高まり、ついには泣きながらの訴えとなった。よくある嫁姑話のパターンながら、困惑を覚えるほどにエスカレートしていった。出家間もない筆者には気の利いた対応もままならず、相(あい)槌(づち)のみにてひたすら聞くしか方(ほう)途(と)もない状況となった。

 二人揃っての仲良さげな月参りもみかけていただけに、激しい胸うちの吐露に当惑するしかなかった。ひごろは物わかりの良い姑と評され、ご自身もそうあることに努力されていたのかもしれない。小さな不平や僅かな不満、言うところの屈託を少しずつ溜め込んで肥大化させ、それの結果としての涙に見えた。胸の「つかえ」を持ちきれなくなったタイミングでの参拝だったのかもしれない。

 声のトーンも下がり、いつもの穏やかな老婦人が戻ってきたのは、来訪者も途絶えたまま1時間と30分ほどが過ぎたころだったろうか。雨も上がって傘を忘れそうになりながら、「おおきに」の言葉を残して帰ってゆかれた婦人の表情は空と同じくに明るく爽やかにみえた。

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