天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第218号

特別展「最澄と天台宗のすべて」 ――いよいよ今秋から開催――

 伝教大師一千二百年大遠忌記念として今秋から開催される特別展「最澄と天台宗のすべて」の報道発表会が4月15日、東京国立博物館で開かれ、阿部昌宏宗務総長、水尾寂芳延暦寺執行が出席し「伝教大師のご精神に触れてほしい」と魅力を伝えた。

 特別展は、令和3年から4年にかけて東京(令和3年10月12日~11月21日)、九州(令和4年2月8日~3月21日)、京都(令和4年4月12日~5月22日)にある国立博物館3館で開催する。延暦寺や全国の天台宗寺院等所蔵の秘仏、国宝、重要文化財を含む約230点の宝物が3館で展示される貴重な機会となる。

 日本天台宗の歴史を通覧し、各会場ともに地域性にも重点を置いた特色ある展示となる予定。展示会場内に総本堂「根本中堂」内を一部再現し、法華一乗の精神が体感できるよう工夫するほか、特別御朱印の授与、また音声ガイドナビゲーターは歌舞伎俳優の市川猿之助さんが務めることが決まっている。

 報道発表会には、新聞や雑誌を中心に26媒体44名、オンラインでも全国から約40名の報道関係者らが参加。特別展への関心の高さを窺わせた。


――精神に触れ人生の糧に――

 主催者を代表して挨拶した祖師先徳鑽仰大法会事務局局長の阿部宗務総長は「東京会場では延暦寺における日本天台宗の開宗から東叡山寛永寺の江戸時代に至るまでの歴史を辿り、延暦寺はじめ全国各地寺院所蔵の仏像や仏画、経文などを紹介する。新型コロナウイルス感染症の収束への兆しが見えず生活への不安を感じる日々だが、万全な感染対策を講じ開催する。出品作品を通して伝教大師最澄さまのご精神(一隅を照らす)に触れて、ご観覧いただいた方々の今後の人生の糧になれば幸いです」と述べた。

 また大法会奉行の水尾延暦寺執行からは「比叡山の仏教は多くの学部を具えた総合大学にたとえられる。法華経、密教、禅、菩薩戒、浄土教、これらそれぞれ価値を認められ共存している。日本人の思想にも確かにこの様な違いを認めあう面があるのではないかと思う。今回は、単に御覧いただくだけでなく、拝観参拝のご縁を結んでいただけるよう御朱印を用意し会場で僧侶が対応する。心に留められた仏さまとのご縁を確かめていただけるものと思います」とアピールした。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。
その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない

渋沢 栄一

 資本主義経済の社会にあってお金を稼ぐことは、理にかなっていることですし、それ自体非難を受けることではないでしょう。その人自身の才覚によって富を得るのですから他人がどうこう言うことではないのです。
しかし、人間世界は、一人で成り立っているのではなく、多数の人々が共生し暮らす社会です。一人だけで生きていけない以上、他の人々と様々な関わりを持たざるを得ないのです。

 当然、快適な生活を望めば、快適な社会の構築をめざさねばなりません。すると、経済を始め、社会に必要な様々な分野に対して、富める者はそれ相応の財力支援が求められるのです。

 成功した欧米の実業家たちの多くが、自らの富を福祉関係分野に投じていることはよく聞きますが、これは、キリスト教、特にプロテスタントの禁欲的な考えに発することだと思います。

 日本でも、商売に関していえば、近江商人の「三方よし」の精神があります。これは「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三方よしで、売り手と買い手がともに満足し、さらに社会貢献もできるのが良い商売である、ということです。
「世間よし」が社会を利することですね。すなわち利他の精神ということです。それが正しい企業のあり方といえましょうか。

 世界の流れとして、現代はグローバル化が進んでいます。それにつれて富の偏在が著しくなっています。
世界の超富裕層26人が世界人口の半分の総資産と同額の富を独占していると聞きます。必要とする分野への還元もないようです。

 渋沢栄一の言葉を今一度噛みしめたい時代になっているという気がします。

鬼手仏心

三指の敬礼

三指の敬礼(ボーイスカウトの三つの誓い)
一、神仏を拝し、国への恩
二、相手を思いやり、助けること
三、強靭な心身と徳を積むこと


 比叡山宗教サミットが始まった1987年8月4日以来、その趣旨に添い、自坊では6日の広島原爆忌に『平和の鐘』の集いを執り行っております。この集いは、地元のボーイスカウトの参加を得て、今日まで継続しています。

 次のような話をよくします。
 1950年代、一人の元アメリカ海兵隊の兵士が、一枚の日章旗の寄せ書きをもって来日しました。生命の恩人である旗の持ち主を探すことが目的でした。
 1945年2月、太平洋戦争の中でも「地獄の戦場」といわれた、激戦地「硫黄島」でのこと。

 地下壕に潜む日本軍を一つ一つ制圧して進む時、背後から「バーン」と銃声がした。とたんに、右足がしびれ、彼は地面に倒れていました。「あー、こうやって死ぬんだ」と、うつろな目で前を見ると、ぼんやりと一人の日本兵が銃剣を振りかざして近づいてくるではありませんか。ヘルメットの下の顔は真っ黒、目だけがギラギラ輝いていました。「もうダメだ」、彼は内ポケットから、両親と妻、子どもたちの写真を出し、「さようなら。ありがとう。グッドラック」とつぶやき、ボーイスカウト共通の『三指の敬礼』をして、気を失いました。ふと気がつくと、大けがをした足は、きちんと包帯で手当てがしてありました。包帯は、日章旗を切り裂いたものでした。

 胸に手紙がありました。英語で書かれていました。「私は日本のボーイスカウトです。あなたの三指の敬礼を見て、私はあなたを殺せない。私はこれから突撃します。できれば、戦争のない世の中でお会いしたかった。どうか私の分も長生きして下さい。そして、幸せに暮らして下さい。さようなら」と。

 『平和の鐘』の集いのたびに、私は、この元アメリカ兵と日本兵の無名戦士の話を思い出し平和の大切さを心にきざみます。

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