天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第141号

木ノ下総長ら福島放射能被災寺を初視察
支援に向けて実態と問題点などを聞き取り

 天台宗災害対策本部(木ノ下寂俊本部長)では、11月13日に、東日本大震災で甚大な被害を受けた福島教区の三か寺を視察し、現状を把握すると共に今後の継続的な支援を約束した。
 福島第一原発事故による放射能漏洩事故に巻き込まれた寺院に対策本部が入るのは今回が初めて。

 今回の視察には、天台宗から木ノ下本部長(天台宗宗務総長)、長山慈信天台宗法人部長、比叡山延暦寺から小鴨覚俊副執行、天台宗宗議会から小川晃豊議長、林光俊新成会会長(福島教区選出)、福島教区から矢島義謙宗務所長はじめ事務局が参加。案内と説明は井手正典対策本部現地職員らが行った。
 対象となったのは福島教区第5部のうち相馬市の日光寺(渡邉亮海住職)と、南相馬市にある妙樂寺(岩崎豪信住職)、圓明院(泉智教住職)。このうち圓明院は事故当時原発20キロ圏の避難指示地域であり、現在も夜間滞在はできない。また日光寺は原発30キロ圏で放射能の影響が大きいものの補償からは取り残されている。さらに妙樂寺は、海岸線近くの磯部地区にあり檀家115名が犠牲になるという甚大な被害を受けた。
 視察、および聞き取り調査によって判明したのは、多くの若者の県外流出と、放射能被害によって今後の見通しが立たないことである。
 木ノ下本部長は「現場を訪れ、被災された寺院ご住職からその実態をつぶさに聞いて、生々しい現状に圧倒される思いだ。今後対策本部としてもできるだけの支援を行いたいと思っている。遠慮なく申し出て欲しい」と語った。
 また現状の災害支援規定においては、津波被害で檀信徒が亡くなったり、放射能による不測の事態は想定されておらず、早急な見直しを要求する声もあった。
 妙樂寺を辞したあと、一行は寺院横の磯部の地に建てられた東日本犠牲者の碑文前で慰霊法要を行った。(写真)
(詳細は次号に掲載予定)

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渡邊惠進前天台座主猊下ご遷化
12月16日に宗務庁で天台宗葬

 第二五五世天台座主大僧正渡邊惠進猊下が去る11月13日に世寿105歳にて遷化された。平成9年1月より平成19年2月まで天台座主職をつとめられた後、半田孝淳現天台座主猊下に譲職された。
 渡邊前座主は、明治43年岐阜県安八郡生まれ。昭和20年延暦寺一山唯心院住職。その後、延暦寺副執行、叡山学院院長、一隅を照らす運動顧問など、一宗及び総本山の要職を歴任され、平成元年には滋賀院門跡門主に就任、平成3年に探題職に上任された。
 密葬は11月17日に小堀光實延暦寺執行を喪主に営まれた。また本葬は12月16日午後1時より、木ノ下寂俊天台宗宗務総長を喪主に、式場を天台宗務庁において、天台宗宗葬として執り行われる。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。

『はちと神さま』金子みすゞ

 詩の冒頭は「はちはお花のなかに、お花はお庭のなかに、お庭は土べいのなかに、」と、何の変哲もない言葉が並んでいます。この後は「土べいは町のなかに、町は日本のなかに、日本は世界のなかに、世界は神さまのなかに」と続きます。小さな生き物の存在から始まり、最後には創造主である神さまにたどり着くことで、ようやく、私たちもこの詩の流れが分かってきます。この世界の在り方を語っているのですね。
 そして、最後の言葉がいいのです。私たちの心に響きます。最後は「そうして、そうして、神さまは、小ちゃなはちのなかに」となっているのです。金子みすゞの世界観、あるいは宇宙観が分かりやすく現れている詩といえます。一種の哲学といっていいでしょう。「神は細部に宿り給う」という言葉を思い起こさせますし、この世界とは何か、生きる存在とは、といった問いに一言で答えている気がします。
 彼女の詩は、一時期ブームという程、人気になりました。『大漁』では、大漁に沸く浜の一方、海の中での何万のいわしの弔いに思いを馳せる詩を。『わたしと小鳥と鈴と』は、「みんなちがって、みんないい」というフレーズでよく知られました。自然を愛し、小さな命を慈しみ、全ての存在に暖かいまなざしを注ぐ彼女の心に、多くの人が共鳴しました。実生活では苦悩に満ちた日々を過ごし、夫との不和などで、26歳という若さで自死した彼女の慈愛に満ちた詩は、今も光を失うことがありません。
 どんな小さな存在も、まるで取るに足らない存在でも、すべて全体とつながっている存在だと、彼女は主張します。最後にこんな言葉を挙げておきます。「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」(『星とたんぽぽ』)。 

鬼手仏心

ワンダフルワールド 天台宗教学部長 中島 有淳

花の香りは風にさからっては進んでいかない
栴檀(せんだん)もタガラの花もジャスミンもみなそうである
しかし、徳のある人びとの香りは
風にさからって進んでいく
出典・『ダンマバダ』五四


 仏典で説く香りは自然界の香りだけでなく、人の徳も表しています。香りには良い香りと悪い香りがあり、貪(むさぼり)・愼(いかり)・癡(おろかさ)の三毒は、不正や不条理の悪臭を生じ、悪香といえます。
 一方、身と口と意の三業がなす行為が清浄であれば、徳香が自然に具(そな)わることになります。
 仏典はこうして常に私たち自身の行為について、戒めるべき事柄を明確にして静かに寄り添って、無言で語りかけています。
 人は誰れしも自分の悪香は知られたくないと願い、反面良香は知ってほしいと願います。しかし「天知る、地知る、我知る、子知る」という四知の思想の通り、神仏は人の善悪を観ていると知るべきであります。
 私たちはみずからの妄想を離れ、浄らかな徳の香りを放つように努力する心掛けが大切です。やがてその努力が徳となり、その徳は風に逆らっても真実の香りとなって三千世界まで伝えることが出来るのです。
 実際、そのような真実の香りに気づくような自分でありたいと願うばかりです。そしてもし、この願いが少しでも叶うような事があればその自分は、自分と周囲の世界が一体となって教示された衆縁和合の世界です。その時は悪香も良香も自分も一体であり、行動も事象も現象も全てが包含された、仏の真実の世界でしょう。
 そのように感得された時には、世の中が光り輝いて見えるのではないかと思っています…。

仏教の散歩道

インチキ宗教の拝金教

 出版社の編集者と雑談していました。編集者がわたしに言いました。
 「先生、日本人は、どうして宗教を持っていないのでしょうか?」
 皮肉屋のわたしは、容易には相手に同調しません。相手を煙(けむ)に巻く答えをして楽しむくせがあります。
 「きみね、日本人は無宗教じゃないよ。立派に宗教を持っているよ。それは拝金教という宗教だよ」
 わたしのその言葉で、彼は納得してくれました。
 現代の日本には、拝金教という宗教が蔓延しています。九十九パーセントの日本人が拝金教の熱狂的な信者なもので、仏教やキリスト教といった宗教が日本人のあいだに浸透できなくなっています。そのため、仏教やキリスト教が日本人に布教・伝道しようとして、拝金教に迎合した教義に書き換えをしているありさまです。たとえば、
 「まじめに努力していると、必ず金持ちになれますよ」
 といったふうなことを説くのです。明らかに拝金教徒向けの教義です。
 おかしいですよね。わが国、曹洞宗の開祖の道元(一二〇〇―五三)は、
《学童の人は先(まず)須(すべから)く貧(ひん)なるべし》(『正法眼蔵随聞記』三)
 と言っています。学童の人というのは、仏教の道を学ぶ人です。仏教者です。仏教者は貧しくなければならない、と言っているのです。まさに拝金教と正反対です。
 また、キリスト教のイエスは、
 《貧しい人々は、幸いである》(『ルカによる福音書』六)
 と言いました。これも拝金教の教義に反します。このようなことを説くと、誰も仏教やキリスト教を好きになってくれない。だから仏教やキリスト教がみずからの教義を書き換えてしまった。そこで拝金教がますますのさばるようになったのです。それが日本の宗教界の現状だと思います。
 ということは、現代の日本にはインチキな宗教(拝金教はインチキな宗教です)が蔓延していくわけです。
 -悪貨は良貨を駆逐する
 といったグレシャムの法則がありますが、金の含有量の高い良貨と低い悪貨があった場合、その国では良貨が消え、悪貨だけが使われるようになるものです。ですから、インチキ宗教がはびこると、本物の宗教が消えてしまいます。いま日本に、仏教やキリスト教という本物の宗教がないのは、拝金教といったインチキ宗教が蔓延しているせいなんです。
 いいですか、わたしたち仏教徒は、仏教の信者になったからといって金持ちになれるわけではないのですよ。貧乏であっても幸せに生きることができる。そう教えてくれているのが仏教です。そこのところをはっきりとさせねばなりません。どうか勘違いをなさらないでください。

カット・酒谷 加奈

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