天台宗について

The TENDAI Journal~天台ジャーナル~

天台ジャーナル 第121号

東日本大震災三回忌法要を営む
3/10福島県本宮市 3/11宮城県気仙沼市

 東日本大震災から三年目を迎え、天台宗では、十日、十一日に福島県本宮市の観音寺(矢島義謙住職)と宮城県気仙沼市の觀音寺(鮎貝宗城住職)において「東日本大震災物故者三回忌慰霊並びに復興祈願慈光観音開眼供養法要」を厳修した。半田孝淳天台座主猊下のご名代として森川宏映探題大僧正(延暦寺一山真藏院住職)が大導師を勤め、両日の法要には、天台宗からは各教区宗議会議員・宗務所長を始めとする諸大徳、被災地東北を始め全国の震災犠牲者の遺族、被災者など有縁の人たち多数の参列があった。

 福島県の観音寺では、昨年五月に震災犠牲者一周忌慰霊法要と復興祈願法要が営まれている。三月十日に厳修された三回忌法要も、昨年同様、被災した地元の人々など約五百名が参列、犠牲者の冥福と復興を祈った。
 福島県は、南北に連なる奥羽山脈と阿武隈山地の二つの尾根線を境界とした「会津」「中通り」「浜通り」の三つの地域に分けられ、観音寺のある本宮市は「中通り」に位置する。津波の直接被害こそないが、家屋、道路、教育施設、上下水道などに甚大な被害を受けた。また、原発事故で放射性物質の汚染により健康被害への懸念や、風評被害による地域経済の衰退が憂慮されている被災地である。
 それだけに三回忌慰霊法要と、復興のシンボルとして建立された慈光観音の開眼供養法要には、震災犠牲者の鎮魂と、復興を祈念して、仮設住宅に避難している被災者など多数の人々が参列していた。
 気仙沼・觀音寺では、震災の年、昨年と慰霊法要は執り行われているが、十一日の「東日本大震災物故者三回忌慰霊法要」にも、これまで同様、震災犠牲者の多くの遺族が参列。二年の月日が流れたとはいえ、まだ遺された遺族の人々の悲しみは癒えず、新たな涙を浮かべ、嗚咽する遺族の方々の姿があった。
 阿純孝天台宗宗務総長は「この災害によって貴重な命を失った多くの人々、さらに、長期にわたって避難せざるを得ない人々に思いを馳せねばならない。そして、この苦難に屈することなく復興に立ち上がらねばならないと思う。我々天台宗は今後とも伝教大師の『忘己利他』の精神に則り、復興支援を続ける決意であり、皆様と力を合わせていきたい」と、復興に向けての呼びかけを行った。
 三回忌慰霊法要に先立って、森川探題大僧正を導師として慈光観音の開眼供養法要が営まれた。慈光観音は、被災者誰もがお参りできるように、山門横に建立されている。

素晴らしき言葉たち -Wonderful Words-

悪い点は誰にでも見える。
九九パーセントがだめでも
一パーセントのプラスを見抜く感性が
専門家に求められることなのです。

安積力也(基督教独立学園高等学校校長)

 「炎上」という言葉が、ネット上で散見されます。
 「自分の気に入らないブログ」に対して、一斉に攻撃し、そのブログを立ちゆかせなくする行為です。された方は、なすすべもなく沈黙(炎上)ということになるわけです。攻撃内容は「死ね」とか「ウザイ」というものから民族差別に至るまで様々ですが、ほとんど問答無用の匿名攻撃です。「欲求不満解消」が主な動機ならやっかいです。
 こうした攻撃は「他者への呪い」といってもよいかも知れません。呪いの語源は「宣(の)る」で、言葉によって相手を衰弱させ消滅させることです。「死ね」や「ウザイ」というのは、典型的な「呪い」でしょう。「死ね」と攻撃されて自殺するケースもありました。現代も陰(おん)陽師(みょうじ)の活躍した平安時代と人間の「怨念」はそう変化していないようです。
 他者の「欠点」をあげつらうことで「俺様は正しく、賢い」ことを証明しようとするのでしょうか。それを見せつけられる方は気鬱になります。相手を攻撃し、傷つけて溜飲を下げても、創造に至るものがないからです。
 批判し、破壊することは簡単です。しかし、そのことで「俺様は偉い」と思うのは如何なものでしょうか。破壊の果てには、荒涼とした風景が広がっているだけでしょう。
 破壊や攻撃の根本を成すのは制御不能となった「憎悪」や「嫉妬」、「反感」です。
 「呪い」から「創造」へと向かうためには、マイナスにしか見えないものの中に、プラスがないかと探る広い目配りが必要でしょう。砂漠の中からわずかな砂金を見つける行為と似ています。根気よく、偏見なく続けることが必要です。昔の物語は、呪いにかけられた王子や王女を解き放つためには、誰かがその人に「無限の慈悲(愛)」を示すことが必要だと説いています。そのことは、きわめて示唆に富んでいるといえるでしょう。

鬼手仏心

デコ的生き方 天台宗社会部長 村上 圓竜

 三年前に亡くなった女優の高峰秀子さんに、今はまっています。その「凛(りん)とした」いさぎよい生き方に魅了されたのかも知れません。
 高峰さんは、天才子役と呼ばれ、銀幕の大女優となったのですが、幼少期は幸せとは、ほど遠い状態でした。
 養母は、今で言う「ステージママ」で、その親族一同は幼い彼女の収入に頼って生活していました。のちに高峰さんは「金銭のことで人間不信になった」と語っているほどです。高峰さんは、当時助監督だった黒沢明さんと大恋愛をしますが、養母の「助監督風情に娘はやれぬ」というひと言で破局を迎えます。その後、高峰さんは大女優に黒沢さんは世界のクロサワと呼ばれるようになるのですから、人の世は不思議です。
 多忙のあまり学校にも通えず、結局小学校の先生が差し入れてくれた絵本で字を憶えたといいます。後には持ち前のバイタリティとセンスで、女優業とは別にエッセイを書き「一流のエッセイスト」と呼ばれました。
 連載を四苦八苦しながら書いている高峰さんを、夫の松山善三さんが「頑張れ!デコ(秀子さんの愛称)」と励ましたのは有名な話です。
 高峰さんは、名子役、名女優は幸せになれないと言うジンクスを破った人でもあります。安月給の助監督だった松山氏は、高峰さんが予約した一流レストランでデートするときに「僕は、テーブルマナーを知りませんから、あなたが先に食べて下さい。僕は、その通りにマネしますから」と言いました。この素直さは、それまで大女優を取り巻いていた人々にはなかったものでした。誠実、正直、清廉が服を着たような人でした。他人の評価を一切当てにせず、自らの夫を見抜いた力こそ、彼女の真骨頂といえるでしょう。

仏教の散歩道

不機嫌になる縁

 フランスの哲学者のアラン(一八六八一九五一)は、幼い子どもが泣きわめき、いくらなだめてもいっこうに泣きやまないようなとき、
 《ピンをさがすがいい》
 と、その著『幸福論』の中で言っています。いったい「ピン」とは何でしょうか?
 子どもが泣いている。不機嫌なのだ。そういうとき、わたしたちは、それはその子の性格が原因だ、といったふうに考えてしまいます。でも、そう考えるのはまちがいです。たいていの場合、幼児が泣いている原因は、産衣(うぶぎ)にピンがついていて、それが肌に当たって痛いのです。だから、ピンを取ってやれば、すぐに子どもは泣きやみます。アランは、それで「ピンをさがして取ってやればよい」と言うのです。
 《人がいらだったり、不機嫌だったりするのは、あまり長いあいだ立ち通しでいたせいであることがよくある。そういうとき、その人の不機嫌に対して理(り)屈(くつ)をこねあげたりしてはいけない。椅子(いす)を差し出してやるがいい》(白井健三郎訳)
 つまり、この場合は、椅子がないことがピンなのです。椅子に坐わると、不機嫌がなおります。
 言われてみると、思い当る節があります。人間は、空腹が原因で不機嫌になることも多いのです。〈俺はなぜこんなに不機嫌になっているのだろう・・・?〉と、自分でも訝(いぶか)しく思うとき、〈そうだ、あいつが悪いんだ。あいつがあんなことを言ったから、俺が腹立たしくなったのだ〉と、誰かを悪者にすることが多い。いろいろと理屈を考えるのですが、なに、そのとき、わたしが空腹であっただけなんです。空腹でなければ、別段気にならないことを、空腹なために、やけに気になる。そういうことがよくあります。
 たしかに、アランの言うように、ピンをさがしたほうがよさそうです。
 ですが、アランには悪いのですが、われわれがピンをさがしても、ピンはそう簡単には見つかりません。ピンが見つからないとき、われわれはどうすればよいでしょうか?
 アランの忠告に従って、無理にピンを見つけようとすれば、実際ではピンではないものを、まちがってピンに仕上げてしまうこともあります。何も関係のない人までも、
 〈そうだ!あいつが悪いんだ!〉
 とピンにしてしまう危険が大きい。だとすると、われわれはピンをさがさないほうがよさそうです。
 仏教的には、ここでは「縁」の考え方が必要です。
 われわれのこの世界は、いろんな縁でもって構成されています。ほんのちょっとした偶然が世界を大きく変えるのです。ですから、われわれが不機嫌になったとき、これにはいろんな縁があるのだなあ・・・と考えて、あまりピンの追究はせず、自然に不機嫌がなおるようにしたほうがよいと思います。

カット・酒谷 加奈

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