天台宗について

法話集

No.239気持ちを育てる

 比叡山の麓の「仰木」と呼ばれる地域に光曜山華開寺があります。この地域には七ヶ寺がありますが、比叡山の横川の木々を霊木として仰ぎ見たことが町名の由来とされるほど、信仰心の強い土地です。しかし、最近の核家族化やコロナ後の生活スタイルの変化の波はここにも訪れ、信仰心も薄れがちになっています。そのため、お葬式が終わったその日のうちに初七日を行い、二七日と三七日を同日に一緒に行ったり、今年の年回法要と来年のものを合わせて行うなどの家庭が増えてきています。

 この風潮の中、初七日の後、その意味を故人のお孫さんから問われたとき、お葬式が終わっても、故人はすぐに仏様になられるのではないことを説きました。

 お葬式にお供えする志には、「御仏前」と書かず「御香儀」とするのは、そのためです。初七日の不動明王様から四十九日の薬師如来様まで七日ごとに各仏様の前で生前の行いに審判がなされます。五七日に一回目の審判がなされ、四十九日の法要が終わると「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六道のどの道に行くかが決まるのです。

 この意味を正確に理解している人は少ないように思います。故人のお孫さんの質問がきっかけでしたが、何のための法要かなど当たり前のことをきちんと伝えることは、今の寺院にとって大切なことだと思いました。法要の後、お唱えする法要や経典の意味、仏様の審判の観点を故人の人となりを織り交ぜて話すと、七日ごとの法要をしっかり行い、お仏壇の前で「般若心経」を唱えてくれるようになりました。

 気持ちがあるから形ができるのではなく、形があり、そこから気持ちを育てていく努力を寺院と檀信徒が共に協力しながら作っていく必要があるのではないでしょうか。


(文・滋賀教区 華開寺 藤支 良明)
掲載日:2024年05月01日

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