天台宗について

法話集

No.95無財の七施(むざいのしちせ)

 年があらたまり、この一年をどのような心がけで過ごしたらよいか?ということで、先月は「六波羅蜜」を紹介しました。今月は引き続き、普段の生活の中での心掛けるべきことについて紹介させていただきます。
 『雑宝蔵経』というお経に「無財の七施」という教えがあります。先月の「六波羅蜜」の最初に出てきた「布施波羅蜜」を具体化した教えでもあり、無財の七施を行うことで「大いなる果報を獲(え)る」と説かれています。
1.眼施(げんせ)「やさしい眼差(まなざ)しで人に接する」
「目は口ほどにものを言う」といいますように、相手の目を見ると、その思いはある程度わかります。相手を思いやる心で見つめると自然にやさしい眼差しとなり、人は安心します。自らの目を通して相手に心が伝わって、相手も自分の気持ちを理解し、お互いが打ち解けることができることでしょう。
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)「にこやかな顔で接する」
 眼施と同様、顔はその人の気持ちを表します。ステキな笑顔、和やかな笑顔を見ると幸せな気持ちになります。そして周りにも笑顔が広がります。人生では腹の立つこともたくさんありますが、暮らしの中ではいつもニコニコ、なごやかで穏やかな笑顔を絶やさぬよう心がけたいものです。
3.言辞施(ごんじせ)「やさしい言葉で接する」
 私たちは言葉一つで相手を喜ばせたり、逆に傷つけたり、悲しませたりする場合があります。相手を思いやるやさしい言葉で接していきましょう。「こんにちは」「ありがとう」「おつかれさま」「お世話になります」など、何事にもあいさつや感謝の言葉がお互いの理解を深める第一歩です。
4.身施(しんせ)「自分の身体でできることで奉仕する」
 重い荷物を持ってあげる、困っている人を助ける、お年寄りや体の不自由な方をお助けするというような身体でできる奉仕です。どんなによいことと心で思っても、それが実行できなければ意味をなしません。よいことを思いついたら実行し、自ら進んで他のために尽くしましょう。その結果、相手に喜んでいただくと同時に、自己の心も高められるのです。
5.心施(しんせ)「他のために心をくばる」
 心の持ち方で物事の見方が変わってしまうように、心はとても繊細なもので、自分の心が言葉遣いや態度に映し出されます。自分だけがよければいいというのではなく、他人の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れれば言うことはありません。慈悲の心、思いやりの心があれば、それが自然とやさしい顔や眼差しになって表れてくることでしょう。
6.床座施(しょうざせ)「席や場所を譲る」
 「どうぞ」の一言で、電車や会場でお年寄りや身体が不自由な方に席を譲ることです。また、この言葉には全てのものを分かち合い、譲り合う心が大切であるという意味も含まれています。場合によっては自分の地位を譲って後のことを託すという意味も含まれるでしょう。
7.房舎施(ぼうじゃせ)「自分の家を提供する」
 四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」(おせったい)という習慣が残っています。人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供したりすることは大変なこともありましょうが、普段から来客に対してあたたかくおもてなしをするように心がけましょう。また、軒下など風雨をしのぐ所を提供することや、雨の時に相手に傘を差しかける思いやりの行為も房舎施の一つといえるでしょう。
 以上のように私たちの日常生活において、たとえお金がなくても、物がなくても、周りの人々に喜びを与え、周りの人々に少しでも喜んでいただけるのが「無財の七施」の実践です。このような身近な奉仕によって、自己を高めることができるとともに、世の中の人々の心を和ませることができるのです。また、この中の一つでも真心をこめて実行できれば、自ずと他のこともできるようになっていくのではないでしょうか。そうすれば、周りの人たちと仲良くでき、自らの心は安らぎ、ともに幸せに日々の生活が送れるに違いありません。
掲載日:2012年01月30日

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