天台宗について

法話集

No.218観音様の姿

 先日近くのお寺の団体参拝に同行することがありました。というのもこのお寺から如意輪観音と伝わる仏像が京都国立博物館に出展されるとのことで、比叡山への参拝もかねて見学に行かせていただいたのです。

 一日にたくさんの仏様を見て、そういえば観音様にはほかの仏様とくらべて色々な姿があるなあと思い法華経の観世音菩薩普門品を思い出しました。この普門品というのは、観音様は世の中の声を聴く仏様で、故に観世音と言われ、苦しい時に観世音菩薩の名を一心に唱えればその声を聴いた観音様に救ってもらえると説かれたお経です。その中の一説に、

応以仏身。得度者。観世音菩薩。
即現仏身。而為説法。
応以辟支仏身。得度者。観世音菩薩。
即現辟支仏身。而為説法。

と続く場面があります。ここを簡単に言うと、観音様はそれぞれ助けを求める衆生に合わせた姿で現れてその者に合わせた説法をすると書かれています。この普門品に書かれている一説を思い出した時に、それぞれの助けを求める者の声を聴き、姿かたちを変化させ衆生を救うという仏様が観音様で、聖観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音、馬頭観音などそれぞれの願いや信仰に合った観音様がお祀りされ拝まれているということがわかりました。

 このことを書いて、私はふと思ったことがあります。それは何気ない日々の中で誰かに助けられるといった事についてです。こういった誰かに助けられるという事に対して、もしかするとそのとき助けてくれるのは、その人に姿をかえた観音様ではないかと言うこともできるのではないかと思ったのです。このように考えると、日常の中にもそのどこかに仏様というのは居り、私たちが健やかに過ごせるようにいつも見守っていただいていると思えるようになり、日々を豊かに暮らせるのではないでしょうか。


(文・四国教区 醫王寺 柴 賢心)
掲載日:2022年08月01日

その他のおすすめ法話

ページの先頭へ戻る