天台宗について

法話集

No.159心念不空過

 Aさんは信仰厚く長年お寺の世話役を買って出たりして、周りからも信仰熱心な人として通っていました。しかし、ある時からお寺へお参りしなくなったばかりか、人と会うのも避けるようになったのです。その原因は「いくら信心しても悪いことばかり起こり、良いことはなかったから。」と言うものでした。 
 Aさんの思いは解らないでもありませんが、信心とはそのようなものではないはずです。
 信仰によって願いが叶えられるとしたら、それは目に見えない、触れることのできないものの中にあるような気がします。
 仏様にお祈りした願いが叶わなかったとしても、不満に思い仏様を恨むようなことは普通しませんよね。もし、何でも願いどおりになるのであれば、人は時々お祈りをするだけで、何もしなくてもよいことになりますからね。

 では祈るとはどう言うことか、少し視点を変えて考えてみようではありませんか。

 観音経(観世音菩薩普門品)には観音様を一心に唱えるとあらゆる災難や煩悩から免れることができると説かれています。その中に「心念不空過 能滅諸有苦(心に念じて空しく過ごすことがなければ、あらゆる苦しみは消滅する)」と言う一節があります。
 観音経は説きます。祈りとは「決して疑うことなく心から念じ続ける」ことであって、そうすることにより苦しみは消えていくと。
 念じるとは、なにも座って経本を唱えるだけのことではないのです。日常の生活の場で私たちは自分一人のためだけでなく、他者も共に救われることを願い、奉仕と布施の心を失わないことが「心念不空過」なのです。
 観音経を念ずれば、日常の煩わしさや苦しみを忘れさせ、それとなく仏の悟りへの道‥菩薩道へ誘われる気分になります。

 Aさんへ。
 いくら信心したとしても悪いことばかり起こることもあるでしょう。それでも、いや、その時こそ信仰心を強く保ち、念じ続けてください。そうすれば、迷いや苦しみがいつの間にか消え去っていることに気付くはずです。
 いつでも観音様は私たちを導いてくださっているのですから。


(文・山陰教区 瑞雲寺 汐見 善宗)
掲載日:2017年06月01日

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