天台宗について

法話集

No.155無財の八施

 無財の七施って知っていますか。“無財”ですからお金がなくてもできる七つの布施です。布施というとお坊さんやお寺に納めるお金のことだと思っている方もいるでしょうが、それだけが布施ではありません。布施とは本来、自分の欲望を減らすための修行法方なのです。

 欲は生きる意欲や向上心の源ですので、すべてなくすというわけにはいきませんし、無くなるものでもありません。欲に振り回されずに腹八分程度の欲で生きていくことが肝要なのです。

 さて無財の七施とは、眼施(げんせ)「優しいまなざし」、和顔施(わげんせ)「穏やかな顔」、言辞施(ごんじせ)「優しい言葉」、身施(しんせ)「身体を使っての手伝い」、心施(しんせ)「思いやりの心」、床座施(しょうざせ)「座席を譲る」、房舎施(ぼうしゃせ)「休息する部屋を与える」の七つです。

 ところが最近、ある所で無財の八施という言葉を目にしました。プラス1の布施とは一体何なのでしょうか。
 それは耳施(にせ)です。耳を施す、つまり人の言葉に耳を傾けるということです。傾聴です。

 自分の思いで心が一杯になっていたり、心が凝り固まっていたりすると、人の言葉に耳を傾けたり共感したりすることができません。心に空間(余裕)があればこそ、人の言葉や思いを受け入れることができるのです。心が波立っていたり、荒れ狂っていたりする時、人の言葉を受け止めることはできません。自分の心が穏やかな時にこそ、他の人の思いを自分の心の鏡に写し出すことができるのです。

 “俺が俺がのガを捨てて、お陰お陰のゲで生きよ”という言葉があります。数ある欲の中でも我欲は手強い欲で、“俺が俺が”という自分ファーストの気持ちから自由になることはなかなかできません。相手の言葉を受け入れているつもりでも、つい批判したり否定したり、上から目線で自分の考えを押し付けようとしたりすることがあります。我欲を離れて身軽になるということはかなり難しいことなのです。だからこそ、布施は欲から自由になるための修行なのです。


(文・陸奥教区 黒石寺 藤波 洋香)
掲載日:2017年02月01日

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